はんにょづか
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班女塚ではいただけません
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班女塚のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月21日(水)
参拝:2021年7月吉日
繁昌宮末社 奥之院
繁昌神社の北西にある塚で
元々繁昌神社があったところといわれています。
平安時代に長門前司の娘を葬った塚といわれており、
「宇治拾遺物語」の「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」という故事に由来が記されています。
高辻室町付近の前長門国守に2人の娘がおり、姉は早くに嫁に嫁いで高辻室町に住んでいたが、
妹は、宮仕えを辞めて家に戻り、夫もいなく、ときどき通ってくる男と、寝殿の南面の西にあたる妻戸口のところで語らいをしていた
その妹が、28歳になった頃、重い病気にかかり亡くなってしまう
妹がいつもくつろいでいた妻戸口に寝かせていた遺体を、棺に納めて鳥辺野の墓地へ運んでいくが、
着いてみると、棺が軽く、蓋が少し開いており、棺の中の遺体がなくなっていた
辺りを探したが遺体は見つからず、家に戻ってみると、遺体は妻戸口に元のような格好で寝ていた
翌日、もう一度、遺体を棺に納めて鳥辺野の墓地へ運ぶが、いつの間にか、同じように家の妻戸口に戻っていた
その翌日、遺体を棺の中へ入れようとすると、全く動かせなかった
「これは死んでもここに居たいのだろう」と思い、妻戸口の板敷きを剥がし、そこに遺体を埋めて高々と塚を築いたといわれる
その後、家の者や姉も他所に引っ越し、近所の人々も徐々に去っていき、すっかり荒れ果てて塚だけが残ったという故事です。(京都通百科事典より)
なので破談の神と言われていたのですが
今では良縁成就の神です。
「班女塚」と「繁昌神社」にお詣りして、「商売繁昌」と「良縁成就」です。
繁昌神社の北西にある塚で
元々繁昌神社があったところといわれています。
平安時代に長門前司の娘を葬った塚といわれており、
「宇治拾遺物語」の「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」という故事に由来が記されています。
高辻室町付近の前長門国守に2人の娘がおり、姉は早くに嫁に嫁いで高辻室町に住んでいたが、
妹は、宮仕えを辞めて家に戻り、夫もいなく、ときどき通ってくる男と、寝殿の南面の西にあたる妻戸口のところで語らいをしていた
その妹が、28歳になった頃、重い病気にかかり亡くなってしまう
妹がいつもくつろいでいた妻戸口に寝かせていた遺体を、棺に納めて鳥辺野の墓地へ運んでいくが、
着いてみると、棺が軽く、蓋が少し開いており、棺の中の遺体がなくなっていた
辺りを探したが遺体は見つからず、家に戻ってみると、遺体は妻戸口に元のような格好で寝ていた
翌日、もう一度、遺体を棺に納めて鳥辺野の墓地へ運ぶが、いつの間にか、同じように家の妻戸口に戻っていた
その翌日、遺体を棺の中へ入れようとすると、全く動かせなかった
「これは死んでもここに居たいのだろう」と思い、妻戸口の板敷きを剥がし、そこに遺体を埋めて高々と塚を築いたといわれる
その後、家の者や姉も他所に引っ越し、近所の人々も徐々に去っていき、すっかり荒れ果てて塚だけが残ったという故事です。(京都通百科事典より)
なので破談の神と言われていたのですが
今では良縁成就の神です。
「班女塚」と「繁昌神社」にお詣りして、「商売繁昌」と「良縁成就」です。
すてき
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さくら1532投稿
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