ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)|真宗大谷派
東本願寺(真宗本廟)京都府 五条(京都市営)駅
5:50~17:30 ※11~2月は6:20~16:30
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。
ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)|真宗大谷派
5:50~17:30 ※11~2月は6:20~16:30

1週間前にお参りした際 御影堂門楼上特別公開の時刻に間に合わなかったので 再訪です。
春夏秋冬それぞれの特別拝観が多くありますが 情報を集めるのも大変です。
まあ写真をご覧ください。
特に三尊像は見事です。
楼上は非公開ではありますが 掃除や手入れは欠かさずに行われているのでしょうね。
とにかく 御影堂や阿弥陀堂を見下ろすということが普通ならできないので それを満喫しました。
ガイドの方が説明されていましたが 明治末期に 楼上の天井に天井画を描く計画があり 下絵まで描いていたのですが 途中で制作中止になったそうです。
京都市美術館長さんの見解では 御影堂門の中は天井までの高さが約3.8メートルあり 高さが十分ではないことと 竹内栖鳳をもってしても天女の浮遊感を表現するのが難しかったのではないか ということでした。
御影堂門そばの由緒書
いつみても立派ですねぇ
御影堂門は国指定の重要文化財です
秋なんですが 京の夏の旅
前回はここで打ち切られました
戸があることを知りませんでした
かなり急です
涼しい風が吹いています
ガイドさんの説明あり
御影堂門の扁額 かなりでかい
幻の天井画について
下絵が残っています
正門について
彫刻について
龍の彫刻
上から見下ろすなんて すごい体験です
御影堂を見下ろす
阿弥陀堂を見下ろす
御影堂と阿弥陀堂を見下ろす
京都タワーもよく見える
十字斜材格子
正門前の広場
東本願寺の説明 続きもの
お堂について
御影堂について
歴史①
歴史②
楼上の三尊像
左:阿難尊者 中央:釈迦如来 右:弥勒菩薩
嬉しくて アップ
この週もバザーやってます
京都駅が近く見えます
急な階段を下りなくちゃ
屋根の壁面の彫金も見事
彫金は屋根の先の方にも
こんなん下りてきました
ついでにバザーに立ち寄り

お西さんに続きお東さんにもお参りしました。
こちらもお参りするのは5回目ぐらいかな?
山門の前の広場でバザーをしていました。
何か特別な日なのかな?
御影堂門から入ろうとしたら 「楼上特別公開」の看板が。
やったー!!お導きだぁと思って受付のテントへ。
残念。5分前で受付を締め切られていました。
えぇぇえぇぇ 仕方がない また来週来させていただきます。
ということで 御影堂と阿弥陀堂には上がらせていただきました。
お東さんはお西さんと違い 上人像が逗子の中で拝顔できません。
阿弥陀堂にいたっては 内陣準備中とやらで まったく見られませんでした。
導かれて来たことには間違いないのですが 時間が遅くなってしまったことが残念でした。
御影堂門の楼上にいらっしゃる方々を羨ましがりながら お東さんをあとにしました。
山門前の広場でバザーをやっていました
菊門
菊門の説明
御影堂門
御影堂門の説明
楼上特別公開!!
御影堂門
御影堂
御影堂斜めから
御影堂の説明
本願寺のお堂はでかい
内陣
御姿は逗子の中で見えません
手水舎
龍です
阿弥陀堂
阿弥陀堂の説明
内陣は準備中で・・・
鐘楼
阿弥陀堂門
慶長時代の鐘楼
説明
境内案内図
真宗大谷派の本山で、正式名は真宗本廟です。西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は1272年(文永9)宗祖親鸞の娘の覚信尼が東山大谷の地に仏堂を建て親鸞の御影を安置したのが始まりです。室町時代弟八代蓮如の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗しました。豊臣秀吉が六条堀川の地に本願寺を再興し、次いで徳川秀康がこの地を寄進し、弟十二代教如が堂舎を建てたのが本堂の始まりです。その後、たびたび火災に遭い、現在の建物はいずれも明治時代からの再建ですが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示しています。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて、高さ38m、正面の幅76m、内部は927畳の大広間です。
歴史をもっと見る|| 名称 | 東本願寺(真宗本廟) |
|---|---|
| 読み方 | ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう) |
| 通称 | お東さん |
| 参拝時間 | 5:50~17:30 ※11~2月は6:20~16:30 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-371-9181 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.higashihonganji.or.jp/ |
| SNS |
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真宗大谷派 |
| 創建時代 | 1602年(慶長7年) |
| 開山・開基 | 教如上人 |
| ご由緒 | 真宗大谷派の本山で、正式名は真宗本廟です。西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は1272年(文永9)宗祖親鸞の娘の覚信尼が東山大谷の地に仏堂を建て親鸞の御影を安置したのが始まりです。室町時代弟八代蓮如の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗しました。豊臣秀吉が六条堀川の地に本願寺を再興し、次いで徳川秀康がこの地を寄進し、弟十二代教如が堂舎を建てたのが本堂の始まりです。その後、たびたび火災に遭い、現在の建物はいずれも明治時代からの再建ですが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示しています。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて、高さ38m、正面の幅76m、内部は927畳の大広間です。 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

































































1
0