みょうぶいなりしゃ
命婦稲荷社のお参りの記録一覧
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縁切りの井戸
高倉通と柳馬場通の間を通る堺町通沿い。
わかりにくい所にあり、気がついてもとても、入りづらい場所にあります。
京都独特の路地、しかも 私有地に鎮座されます。
路地を少し入ると赤い鳥居があります。
その鳥居は命婦稲荷です。そこに隣接する鉄輪社(かなわしゃ)の隣にある井戸が鉄輪の井戸です。
今は枯れています。
ここに住んでいた嫉妬深い女が白装束姿で頭に蝋燭を灯した鉄輪を付けて、丑の刻に藁人形に五寸釘を打ったとされています。
この女性はこの地で果てるのですが、それを哀れんだ地元の方が、女性が被っていた鉄輪と共に塚をつくって霊を鎮めたというのが「鉄輪の井戸」の由来だそうです。
江戸時代にはこの水を飲ませると、飲ませた相手と縁が切れる「縁切りの井戸」として有名だったそうです。
京都四条烏丸から南東へ進んだ先、住宅地にある。通称である「金輪の井戸」で検索すると色々でてくる。
京都ならではの狭い路地裏から共用の通路を行った先にあり、門扉はあくまでも住宅のもの。
仏教では故人を仏様とするように、神道では故人を神様として弔う。過去にはこのように故人を奉る稲荷社が多数存在したのだが、その殆どは明治の廃仏毀釈によって廃社となった。
ただし呪いや怨念にまつわるものだけは管理者や地域住民の嘆願により、そのいくつかは例外として廃社をまぬがれた。ここもその一つである。
ここは呪いの藁人形の元となった(※)鬼女「宇治の橋姫」の住居跡、または最後を迎えた地とされており、それを弔うための呪い封じの社である。
「金輪」とは囲炉裏に鍋などを置くための道具なのだが橋姫はこれを頭に冠して蝋燭立てとしたとされている。
女の側から誘うのがご法度だった時代、惚れていた男が他の女と結婚したことにショックを受け、貴船の大神(水の神様)に相談したところ、宇治橋のたもとに一週間篭もりなさいと神託を受けた姫。(貴船大神としては頭を冷やせの意味だったのだろうが)積もり積もった恨み辛みでそこで鬼女と化し、京の都で猛威を奮った。その結末は諸説あるらしいが、そういう由来もありこの社では縁切りの利益があるとされているものの、あくまでも呪いの類であり、惚れた腫れたの恨み辛みが古今脈々と残り続いているということでもある。
そういう事情のある社であること、現在はあくまでも個人の敷地内であること、有名にしてフィーバー!やっほい!という手合とは真逆の存在であり、肝試し云々等の悪戯や冷やかしで来てもらっては困る、という理由もあり、あえて目立たせないようにしている。
ここはあくまでも鎮魂のための場である。
※:俗に言う「丑の刻参り」は貴船大神が貴船の地に来られた時刻に合わせてお祈りする正式な神事であり、いわゆる呪いの類と混同するのは失礼に当たるので注意すること。
入口。あくまでも個人の敷地であり、上には表札がある。
「命婦稲荷」。あくまでも呪いを鎮めるための社。
「金輪の井戸」。ご由緒書きを頂いていける。
謡曲"鉄輪の井戸"がある「命婦稲荷社」
鍛治屋町あたりを散歩してたら見つけたので、多分次は見つからないでしょう(笑)
お寺と住宅街のど真ん中。家とお店の間の狭い狭い扉付きの門を通り(狭すぎて傘広げられない)、右手に命婦稲荷社。境内に鉄輪の井戸あり。
伏見稲荷を勧請した神社で廃社を繰り返し昭和初期に再建。
"鉄輪の井戸"は縁切りしたい相手にその水を飲ませると悪縁が消えるという言い伝えあり。
非常に狭くて入るのに躊躇します。周囲は普通に住まわれているお家なのでお静かに。
左から全体(狭くて全部おさまらない)
拝殿
右から全体(やっぱりおさまらない)
入り口。誰がわかんねん!
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