やさかじんじゃおたびしょ
八坂神社御旅所のお参りの記録一覧
令和5年7月24日(月)
京都市下京区の御旅所に参拝
令和5年7月23日(日)~25日(火)に京都・大阪旅行
八坂神社にお参りした後、御旅所に改めてお参り。まもなく神輿巡行が始まるところ。
いったん離れて夕刻に戻るとちょうど東御座がこれから出立しようという場面。東後座は須佐之男命の妻である櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)をお祀りし、四若(しわか)が奉仕する。
京都の神輿巡行では、聞いているとかけ声には2種類あり、漢字でどう書くのかはわからないのだが、「ヨーサ」と「ホイットー」。ヨーサは、出発や終了のような節目に出るかけ声のようで、まずはヨーサのかけ声とともに拍手を打ち、それから担いでいる。ホイットーは他の地域でのワッショイに相当するのではないか。
正確なことは知らないがだいたいそんな感じだと思って巡行を眺めている。
ヨーサ!のかけ声で神輿が持ち上げられる。そして差し上げして、「ホイットー」で前後を上下にゆらゆらする。担ぎ棒を見ると片方の端にはひもがついていて、それを引っ張って上下に揺らしているし、反対側では背中で棒を担ぎつつぴょんぴょん跳ねているわけです。ここでは神輿をこのように上下に揺らすけれど、左右に揺らす場所もあっていろいろあるのは本当に興味深い。どちらも神様に喜んでいただこうということなのでしょう。
今はまだ午後6時だけれど、この人たちはこれからずっと午後11時過ぎまでこの調子でいくわけです。もちろん途中休憩はあるけれど。これ、ものすごく大変だと思う。
そうそう、かけ声にはもう一つ、「まわせー」もあった。発音的には「ま」と「わ」と「せ」の間に「あ」が入るような感じ。これは御旅所の前など特定の場所でのみ行われるようだ。
大騒ぎをして四若の方々が東御座を担いで寺町通りに去って行った後、待機していた西御座がやってくる。こちらの神輿には須佐之男命の子どもの神様が祀られていて、錦会が奉仕している。このすぐ近くの錦市場の方々です。最近は錦市場はすっかり「食のテーマパーク」的な場所になっていて、京都の人たちが日常の買い物をする場所ではなく観光客が歩き食いをする場所になっていて(歩き食いはご遠慮ください、ということにはなっている。)、お店の経営者も相当入れ替わっているのだろうと思うのだが、神輿を担ぐ錦会の運営はうまくいっているのだろうか?
先ほどと同様にヨーサ、ホイットー、そしてまぁわぁせーが行われる。
令和5年7月23日(日)
京都市下京区寺町通四条の八坂神社御旅所に参拝
令和5年7月23日(日)~25日(火)に京都・大坂旅行
八坂神社御旅所にお参り。三基の御神輿が並んでいて、蝋燭が供えられている。「錦」の提灯が大変目立つ。高島屋、藤井大丸なども。
この場所は普段は土産物を売っている場所で、最初来たときには不思議な構造の場所だと思っていたのだが、祭になると「なるほど!」と思う場所。京都の町中にはそういう場所がとても多いと思う。祇園祭期間とそれ以外とで町の光景がかなり違うわけです。
それにしても、この御旅所の構造がいまでもよくわからない。御神輿の向かって右側には小さな鳥居があって「冠者殿社」とある小さな社殿があり、その左手に大きな社殿がある。この小さな社殿と大きな社殿の関係がわからないのです。普通は社殿は鳥居の奥にあるもの。ひょっとしたら、敷地が狭いので縦ではなく横に並べているということなのだろうか。御神輿を経て左側にも社殿がある。この両者の関係は。京都の人にとっては常識かもしれないのだけれど。
午後10時頃にはここに各山鉾が来て日和神楽を演奏。
元々は河原町高辻町にあった御旅所でしたが、秀吉の命により現在の場所に移されました。
河原町四条と言う繁華街に鎮座しているこの御旅所。
二か所あったんですが、おそらく当時はこれは一つの地所だったんだろうと伺わされます。間にショッピングビルと和食のお店がはさまっているんですけどね?まぁ秀吉によって移されたと言えど勧請されたわけですから、このビルと和食屋さんは神社の敷地内に建っているという事になりますね。
その所為か何だか知りませんが、いたんです。
娘が硬直してました。手がね、にゅ~って・・・(;^_^A
まぁ繁華街ですし、その関係かもしれませんが、手だけというのは・・・ねぇ。
はっ!ここはオカルトを書く場所ではありませんでした。
すみません。そうそう、中には左大臣と右大臣のような像が鎮座されてましたよ。
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