御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定切り絵御朱印大バナー2024年12月四天王寺聖徳太子1400年限定切り絵御朱印大バナー2024年12月
西教寺ではいただけません
広告

さいきょうじ

西教寺のお参りの記録(1回目)
京都府京都駅

投稿日:2023年12月29日(金)
参拝:2023年12月吉日
京都市下京区にあるお寺です。
さきほどの西栄寺さんからすぐ近くなのですが 再び浄土真宗本願寺派のお寺です。
門の手前に鉄柵があって近寄れないのですが 由緒書の看板がありました。
こりゃ由緒に期待できます。

由緒書によると
指方山(しほうざん)と号し 浄土真宗本願寺派に属する。
土御門(つちみかど)天皇の時代に親鸞聖人の教化をうけて法名を恵明とよばれた太田頼基(清和天皇の皇子貞純(さたずみ)親王の10世の孫)を家祖とし 蓮如上人に恵光(えこう)という法名を与えられた太田頼忠から6世の孫にあたる頼賢によってこの寺が開かれた。
頼賢は元和4年(1618)摂津(大阪)太田村に生まれ 寛永11年(1634)本山(本派本願寺)で得度し恵海とよばれた。
恵海は明暦2年に岡山の光清寺の住職となった。
時の藩主池田候より弾圧を受けたが屈せず かえって諌鼓(かんこ)集二巻を著して反省を求めたため投獄された。
このことを本願寺14世寂如上人が知り 池田家に申し入れて寛文10年(1670)恵海を帰京させた。
後 その功績により本山の仏堂執事に抜擢され 延宝2年(1674)西六条に一寺を与えられた。
西教寺はのち現在地に移転したが 寺宝の中には宗祖聖人の尊骨 真影を始め 本山からの受領品を数多く蔵している。
なおこの地は明治維新の功臣松井中務(本願寺寺臣)の殉難の地として知られている。
とありました。
西教寺(京都府)
門より前に鉄柵があります
西教寺(京都府)
由緒書
西教寺(京都府)
斜めから見て

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
西教寺の投稿をもっと見る2件
コメント
お問い合わせ