じこうぜんじ(じこうじ)|臨済宗妙心寺派|普門山
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麓神社から南の海岸方面へ向かい、慈光禅寺へ。丹後守護一色氏の菩提寺だったようでかつては籠神社の西にあり、壮大な伽藍だったよう(雪舟・天橋立図)まあ類に漏れず兵火で焼失し現在地に再興されたのは宝永2年(1705)。開基は府中城主延永修理進春信でありその法号が慈光寺殿だったので慈光寺となったとある(丹哥府志)。ただ、当主の丹後一色家初代満範の諡号も慈光寺殿のためこの説は疑問があるらしい。一色家の菩提寺ゆえ満範の諡号を寺号にしたと考えるのが自然だと思われます。御朱印をお願いすると本堂へ案内されました。結跏趺坐のまあよく目にする釈迦如来の座像で宝冠らしきものが飾られており宝冠釈迦如来かなぁ?珍しいなぁ・・・。そして両脇が毘沙門天と不動明王となかなかいかついペア😅仏様を拝んでいたら御朱印が出来上がったので拝受。「南無観世音」とあったので観音様はどちらかに居られるのですか?と尋ねるとさっきまで拝んでいた像が観音様とのこと😲てっきりというかお釈迦様にしか見えないし、ご住職も見た目はお釈迦様なのですが昔から観音様とされてきたので、今も観音様としてお祀りしているとのこと。まあ姿形には捉われないということなのでしょうか・・・目から鱗でした😅ご住職は東福寺の道場(立ち入り禁止のあの場所)で修行されてその後妙心寺の退蔵院に居られたのだとか。そのころから観光地として凄かったのだそう。紅葉シーズンは用がなければ近寄りたくないと笑い話になりました🤣橋立北側ではここだけ観光地から離れていますが外国人観光客もいないので逆にそれが良い感じに思えます🤗

山門

由緒

山門扁額

本堂

金毘山(金毘羅?)大権現

地蔵様


本堂内の創建史

お参りしました。すぐ近くに宮津湾があります。不在でしたので御朱印は頂けませんでした。

お寺入り口。

山門。


本堂です。

子安地蔵と六地蔵。


建物に沢山の草がついてました😆
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 慈光禅寺(慈光寺) |
|---|---|
| 読み方 | じこうぜんじ(じこうじ) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0772-27-0061 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 観音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 普門山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 創建時代 | 明応年間(1492~1501) |
| 開山・開基 | 延永修理進 |
| ご由緒 | 室町期の丹後府中を考えるうえで、一色氏の氏寺である普門山慈光寺の存在は欠かせない。慈光寺は一色氏で最初に丹後国守護に就任した満範(在職明徳三年〔一三九二〕~応永十六年)の法名を寺号に持ち、建立された時期は不明であるが、長禄三年の『丹後国惣田数帳』には加佐郡気多保に二町五反、与謝郡石河荘に一町四反、同郡稲富保に一町の寺領が設定されている。おそらく満範の没後しばらくして建立されたものであろう。慈光寺の住持は義直の父義貫が帰依した臨済宗夢窓派で南禅寺に瑞雲庵を開いた在中中淹の法系から選ばれており、義直在世当時の住持は在中の弟子、芳仲周騰だった。周騰はまた義直の子で禅僧となった季岳に教えを授けている(「季岳字説」〔『補庵京華続集』所収〕)。「天橋立図」で慈光寺は、五つの建物と堂舎、建物をつなぐ橋や土塀などが描かれ、守護一色氏の氏寺としての壮観を示している。なお、慈光寺は永正の兵火で焼失した後、西南の江尻の地に移されて今日に至っている。
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| 体験 | 御朱印有名人のお墓 |
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