こんたいじ|真言宗醍醐派
金胎寺のお参りの記録一覧
675年役小角が鷲峰山に開いたと伝わる。
722年泰澄が再興。平城京の鬼門封じとして、聖武天皇が堂宇を建立し勅願寺とした。
1298年伏見天皇が行幸し、勅願により多宝塔が建てられた。
現存の多宝塔はこの時のもので重文指定されている。
その後荒廃し現在残る多くの伽藍は江戸時代に整備されたものである。
鷲峰山(標高682m)山頂は北斗星の拝所地であったとされ、山頂中央部に置かれている1300年造立の宝篋印塔は重文指定されている。
本堂
本堂
本堂
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔・本堂
福寿弁財天堂
大師堂
行者堂
行者堂
鐘楼堂
山門
持仏堂
宝篋印塔
宝篋印塔
宝篋印塔
宝篋印塔
宝篋印塔
金胎寺は京都府の宇治田原町と和束町という、お茶が有名な地域にまたがる鷲峰山の山中にあります。南山城最高峰ということもあって、周辺に何も無い山道を分け入ったところにひっそりと佇んでいる、まさに秘境の寺といった感じです。山岳信仰の寺らしく、境内周辺には現在も修験の行場が点在しているようです。
無住で受付の人はいないので、本坊の賽銭箱に自分で拝観料を入れます。本坊から少し登ったところに、本堂と多宝塔、行者堂が建っています。
多宝塔は鎌倉時代、永仁六年(1298)建立のものだそうで、現存多宝塔としてはかなり古い部類ですね。下層の両脇柱間が中央間よりかなり狭くなっていて、上層に比して下層が小さいので、少し頭でっかちな印象です。中備の花肘木付二つ斗や頭貫木鼻に時代的特徴が出ています。
金胎寺はかつて数十の坊舎を抱えた大伽藍だったそうですが、後醍醐天皇が笠置に落ち延びる際に立ち寄ったことから幕府軍の焼き討ちに遭い、古いものはこの多宝塔と山頂の宝篋印塔しか残っていないようです。本堂は近世末期のものに見えますが、かなり痛んでいて修理が必要かと思われます。
訪れたのは六月末、ちょうどお茶が摘まれる季節でもあります。秘境の寺を後にして、麓の店でお茶のスイーツをいただいてから、木津川の海住山寺へ向かいました。
多宝塔
多宝塔初層
本堂
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