高野山真言宗
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遍照院の御朱印・御朱印帳
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電話番号 | 0774-88-3521 |
京都府のおすすめ2選🍁
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🌼遍照院(へんじょういん)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は徳川家康が「伊賀越え」の際に立ち寄ったと伝わる注目の寺で北の大峰山ともよばれる山岳修行の聖地「鷲峰山」の麓に位置する高野山真言宗の寺院です。🌺「峰岳山 高岳寺」に起源をもち、元亀元年(1570)に再興され、徳川家康が「伊賀越え」の際に、この寺で休息をとったと伝わり、「家康腰掛けの石」が残っています。🍒境内の墓地入口にある石塔「無縫塔(むほうとう)」は鎌倉時代の作とされ、町指定文化財となっています。樹齢600年以上と伝わる高野槙(コウヤマキ)をはじめ、四季折々の花が楽しめ、樹齢500年とも言われる紅梅は、龍が舞う姿に似ていることから「飛龍紅梅」と言われ、3月中旬から4月上旬に可憐な花を咲かせ、宇治茶の里の山奥に春の訪れを告げています。🌸各地で桜(ソメイヨシノ)が咲き始めたが、ここ宇治田原町の山里では「徳川家康の逃避行」を見守ったであろう老梅が、今年も見事な花を付けています。🍒奥山田岳谷の高野山真言宗「遍照院」に枝を張るのは、樹齢500年とも言われる京都府名木百選の一つ「八重の紅梅」で、雲の上を優雅に飛び回る龍に似ていることから「飛龍紅梅」と呼ばれています。 ☘️開基は元亀元年(1570)その時すでに成木であったという、この紅梅は家康の鼓動を感じ取ったのでしょうか⁉︎ 今から440年以上前の天正10年(1582)6月2日早朝、明智光秀に織田信長が討たれ、徳川家康は信長の招きで泉州堺におり、午後2時ごろに一報を受けたとの事です。🌷信長の後を追い、死ぬ覚悟で知恩院へ向かおうとした家康だったが、家臣に止められ、「どうする」と思案した末、急きょ本国三河の岡崎城へ帰還することにしました。随行者わずか34人、明智方の襲撃におびえる一行は、何よりも人目を避けることを条件にルートを探索。これが近年、脚光を浴びている「神君伊賀越え」です。🌿本能寺の変から一夜明けた午前10時ごろ、城で食事をもてなし、家康らは立川から湯屋谷を経て奥山田に向かい、遍照院へと入ったと言われています。💐裏白峠を越えて信楽の小川城で警護兵と合流し、翌日には無事、三河へと帰ることができ、この行程で、ひとときの休憩をとったとされる遍照院で、見事な梅に目を奪われた家康は、その傍らにある石に、しばし腰を据え、うねるような飛龍の姿を眺めて心を静めた…と伝わっています。
🍁所在地 : 京都府綴喜郡宇治田原町奥山田岳谷17
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