ひしづまじんじゃ
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菱妻神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月27日(金)
参拝:2024年12月吉日
京都市伏見区にある神社です。
同名の神社がすぐ近くの南区にもあり そちらに向かおうとしていましたので 最初は別の神社だと分からずにお参りしました。
帰宅してから別の神社だったことを知りました。お恥ずかしい。
立派な鳥居をくぐるとけっこう広い境内です。
隋神門(?)をくぐると 左手に石鳥居のパーツが置かれていました。
車がぶつかって壊れたものだそうで 廃棄せずに置かれているのは氏子の気持ちを大切にされているのかと思いました。
本殿は大きくはないのですが 立派な造りで 今時なのか防犯カメラが設置されているようでした。
そういえば時々聞きます。お賽銭泥棒。本当罰当たりです。
境内には摂社がいくつかありましたが どちらの神様をお祀りしているのかは分かりませんでした。
鳥居の外に 850年祭記念の石柱がありましたので それ以上前からこちらに鎮座されていることはすぐ分かりました。
HPがありましたので借稿しました。
当神社は平安時代後期12世紀の初め 永久元年(1113)2月 右大臣源雅実公が奈良の春日大社から天児屋根命(あめのやねのみこと)を勧請して 「火止津目ひしづめ大明神」と崇め奉ったことに始まります。
御遷宮の時には具仁(ともひと)親王をはじめ 源氏(久我家)・藤原氏の一族が牛車三両 手輿こし数十丁を連ねて社参されたと旧記には伝えられています。
御鎮座当時には 桂川の西に地境方三十九間 本社 拝殿 神楽殿 御垣の御門に続いて東西に廻廊 南に一の鳥居、東に具平宮 一・二の鳥居の間には祭殿 御供殿 並びに久我公の成殿があり 高殿の東に遥拝所および御垣 また 御祭道の巽(南東)に惣門があり 祭殿に並んで神主の宅があったと伝えられています。
神領として当地の近辺に五千坪の地があって田中には檜が生え 数十丈の藤がかかっていたと言われています。
この事からも当時の広大さがしのばれます。
同名の神社がすぐ近くの南区にもあり そちらに向かおうとしていましたので 最初は別の神社だと分からずにお参りしました。
帰宅してから別の神社だったことを知りました。お恥ずかしい。
立派な鳥居をくぐるとけっこう広い境内です。
隋神門(?)をくぐると 左手に石鳥居のパーツが置かれていました。
車がぶつかって壊れたものだそうで 廃棄せずに置かれているのは氏子の気持ちを大切にされているのかと思いました。
本殿は大きくはないのですが 立派な造りで 今時なのか防犯カメラが設置されているようでした。
そういえば時々聞きます。お賽銭泥棒。本当罰当たりです。
境内には摂社がいくつかありましたが どちらの神様をお祀りしているのかは分かりませんでした。
鳥居の外に 850年祭記念の石柱がありましたので それ以上前からこちらに鎮座されていることはすぐ分かりました。
HPがありましたので借稿しました。
当神社は平安時代後期12世紀の初め 永久元年(1113)2月 右大臣源雅実公が奈良の春日大社から天児屋根命(あめのやねのみこと)を勧請して 「火止津目ひしづめ大明神」と崇め奉ったことに始まります。
御遷宮の時には具仁(ともひと)親王をはじめ 源氏(久我家)・藤原氏の一族が牛車三両 手輿こし数十丁を連ねて社参されたと旧記には伝えられています。
御鎮座当時には 桂川の西に地境方三十九間 本社 拝殿 神楽殿 御垣の御門に続いて東西に廻廊 南に一の鳥居、東に具平宮 一・二の鳥居の間には祭殿 御供殿 並びに久我公の成殿があり 高殿の東に遥拝所および御垣 また 御祭道の巽(南東)に惣門があり 祭殿に並んで神主の宅があったと伝えられています。
神領として当地の近辺に五千坪の地があって田中には檜が生え 数十丈の藤がかかっていたと言われています。
この事からも当時の広大さがしのばれます。
すてき
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