おぐらじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方巨椋神社のお参りの記録一覧

伏見から宇治に抜け、巡りあった神社です!境内社の子守神社は子どもを襲った大鷲を退治の際にこちらに祠を作られたのが由縁とのことです。








境内社子守神社の鳥居




境内は参拝者ちらほら。宇治市ですが外国人観光客の姿は全く見かけず。宇治にもまだこんなとこあったんだなという感じ。参道には終わりかけの蝋梅とようやくお待ちかねの梅の花が咲きだしていました🤗摂社末社も多く各社お参り後社務所へ。御朱印をお伺いすると今はされていないとのこと😥あと後調べたら昨年初の御朱印は掲載されていたので限定なのかそのあと辞められたのか・・・😔。

参道西口鳥居

西口社号標は「子守神社」

参道南口社号標

南口鳥居

同扁額

終わりかけの蝋梅

白梅が見ごろ

手水舎

子守神社 天磐樟船神

同社殿と紅梅

拝殿

阿

吽

御祭神

八幡神社

右 勝手神社
左 大国主神社、辞代主神社

天満宮

本殿横から

山城国久世郡の式内社です。「巨」と書かれると「大」と来そうですが、意外にも読みは「おぐら」です。

《鳥居》

《社号碑》

《手水舎》
水は流れています。

《随身門》

《拝殿》

御祭神は春日大社の四神と共通しています。
一時期藤原氏が祀っていたことがあるそうです。

《末社・八幡神社》

《末社・天神社》

こちらは子安神社と…なんだっけな


境内の木々は森のように繁茂はしていませんが、樹齢数100年を数える巨木がたくさんあります。

《子守神社》
第五十五代文徳天皇の第一皇子の惟喬親王が子供を三羽の大鷲から守った逸話が由来となっています。

この子守神社だけは巨椋神社とは別に独立した神社であるため、摂末社には数えられていません。

古代氏族の巨椋連(おぐらのむらじ)の祖神を祀ったのが始まりとみられる古社。
連とは「むらじ」と読み、以降に発生するお馴染みの「朝臣(あそみ)」や「宿禰(すくね)」と同じく姓(かばね)の一つです。
平安末期に藤原氏の管理となり一時は春日神社と称していた時期もあったようです。




拝殿


手水舎




割拝殿内部の絵馬

本殿

八幡神社

辞代主神社・大国主神社・勝手神社

天満宮

社務所

子守神社
京都府のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






























11
0