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2025年06月19日(木) 14時12分 bySonotommy
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恵心院の創建は弘仁12年(821)。開基である空海が唐で学んだ青龍寺に地形が似ていたことから、当時は「龍泉寺」と呼ばれていたそうです。その後、戦火に遭い堂宇が破壊されますが、寛弘2年(1005)に比叡山横川(よかわ)の恵心僧都により再興され、朝日山恵心院と呼ばれるようになりました。 源氏物語宇治十帖のヒロイン・浮舟は、宇治川に身投げしましたが、横川の僧都に助けられます。この横川の僧都のモデルが、恵心院中興の祖となった恵心僧都源信と言われています。源信は「往生要集」の著者としても知られ、その中で説いた浄土念仏の思想は法然や親鸞に大きな影響を与えました。恵心院には、恵心僧都自作の像や、自筆の「山越の来迎阿弥陀如来図」などが伝わっているそうです。
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当院は「真言宗智山派」に属する宇治古刹「朝日山恵心院」であります。九世紀初頭(平安時代)すなわち第五十二代嵯峨天皇の弘仁十二年(西暦八二一年)弘法大師(空海)の開基であります。 此の場所が、嘗て大師入唐の際学びし唐の青龍寺の地形に似たるを以って「龍泉寺」と称されたのであります。その後、種々の戦火にあい堂宇を破却したるを、寛弘二年(西暦一〇〇五年)比叡山横川の「恵心僧都」がこれを再興して此の地に住し、寺号を改め「朝日山恵心院」と称されたのであります。数度の兵乱にかかり、破却衰退していたが天正五年(西暦一五七七年)真言宗の一沙門によって中興されました。 天正十七年(西暦一五八九年)豊臣秀吉公並びに徳川家康公より三十石の御朱印を給う。堂塔完備境内荘厳を極め、当地方に於ける真言宗の大道場として繁栄したが、今は僅かに永禄二年(西暦一五五九年)造営の本堂並びに楼門を残すのみとなりました。 また、本堂は平成二十五年三月、京都府指定有形文化財となりました。
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恵心院
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弘仁12年(821)
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821年(弘仁12年)
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空海
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弘法大師