たまきじんじゃ
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珠城神社の編集履歴
2024年02月22日 00時08分
ふりがな
たまきじんじゃ
郵便番号
613-0022
ご由緒
天正十三年(1585)の「市田玉城神社護法神社幷神宮寺巻」によれば、市田は垂仁天皇の宮城(珠城宮)のあった地で、天皇崩御の後その霊を山代大筒城真若王(開化天皇王子日子坐王の子)がこの地に祀ったのが当社のはじまりとし、珠城宮の所在したことにより、珠城神社と称したという。
また延暦十八年(799)和気清麻呂の死去にあたり、藤原葛野麿が勅使となって護法神社として、珠城神社に並べて神殿を造った。
その後、僧行賀が神宮寺を建て護王寺(本尊薬師仏)としたという。当社ならびに護王寺は治承四年(1180)兵火により消失したが、文治元年(1185)源頼朝によって再建された。しかし天正元年(1573)、槇島の戦いで再び消失したという。江戸時代には珠城神社の祭神は雙栗神社に預けられていたようで、市田村は享保四年(1719)神輿を造営し神事に参画した記録が残っている。明治十二年(1879)正式に合祀され同十六年の「久世郡神社明細帳」では雙栗神社の祭神にその名がみえる。昭和四十二年(1967)十月、当社が再建され遷座した。
ご祭神/ご本尊
活目入彦五十狹芽命(いくめいりびこいさちのみこと:垂仁天皇)
和気清麻呂
編集前:《主》垂仁天皇,和気清麻呂
創始者/開山・開基
山代大筒城真若王(やましろおおつつきまわかのみこ)
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