くさかべよしみじんじゃ
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【草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)】
草部吉見神社は、熊本県阿蘇郡高森町草部に鎮座します。日本三大下り宮(草部吉見神社(熊本県)・鵜戸神宮(宮崎県)・貫前神社(群馬県))の一社。
祭神の日子八井命(ひこやいのみこと)が、神武天皇東征の時、高千穂より五ヶ瀬川に沿ってこの地に来て、池の大蛇を退治し、池を埋めて宮居を定めたと伝わります。宮は草を束ねて壁とされた事により、この地を草部と呼ぶようになりました。
手水舎の右手の鳥居から下ったところには、御塩井・吉ノ池(八功徳水)があり、不老長寿の長命水と称される湧き水を飲用することができます。
-祭神ー
①日子八井命(ひこやいのみこと)…初代 神武天皇の第一皇子。




参拝記念⛩️✨️
草部吉見神社
熊本県高森町に鎮座する草部吉見神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
今回の熊本の旅で上がりたかった1社になります。
写真多めです💦
日本三大下り宮のウチの1社で、残り2社は上野國一之宮貫前神社と鵜戸神宮と言われています。
鵜戸神宮は今回の旅で上がれなかったので次回の宮崎に持ち越しです(´;ω;`)
草部吉見神社は平日ということもあり他に参拝者がいなく独占させて頂きました。
ありがとうございます🙏
下り宮の感じとしては…
一之宮貫前神社は登ってから下るという感じですが、こちらの草部吉見神社は山間のちょっとした開けた里に神社が現れて、鳥居の先から下っていくというような造りでした。
熊本から高千穂へ向かう際は、草部吉見神社のすぐ近くを車で通ると思いますので💦
ぜひこのルートを使われる際は草部吉見神社も上がられてみてください🙏




創建は阿蘇神社に先立つこと6年と言われる。近隣の大社であり、由緒としても関連のある阿蘇神社への強い意識がある。当社御祭神は阿蘇神社でも祀られている。
日子八井命は、神武天皇69年、東遷の時、日向高千穂から草部に入り、しばらく川走の窟に住んだ後、当社現鎮座地の池を干し宮居を定めた。
この時襲ってきた大蛇を斬り焼いたとされ、大蛇が血を流しながら逃げて行ったところを血引原(現 地引原)、焼かれた所を灰原といい、今もこの地名が残っている。
宮居を定めたその翌年、甥っ子にあたる健磐龍命(神八井命の御子で、阿蘇大神)が下向、これを迎え、請われて娘を健磐龍命の妃とした。
この姫が阿蘇都比咩で、日子八井命は健磐龍命と力を併せ、内には九州鎮護、外には東征という朝廷の国土統一事業の一翼を担ったという。
宮居は草を束ねて壁としたことにより、この地を草部と呼ぶようになり、さらに「此社吉宮床(ここぞよきみやとこ)」と言われたとの伝承から、社号が吉見となったと伝わる。
日子八井命と神八井命の弟が、第2代綏靖天皇。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)には、豊後の大友氏が肥後に侵攻し、社領は略奪され、権大宮司家は一時祠官家を離れて村民の中に身を潜めたという。
江戸期になり、寛政5年(1793年)に祠官家が復興、文化7年(1810年)には祝部家が再興された。
社殿は、弘治2年(1556年)に甲斐左近将親成によって造営され、後傷みが激しくなったため、明暦2年(1656年)に里人らによって、現在の社殿に補修された。
以後明治25年(1892年)までに18回修理されたと伝えられる。
社地は侵食が進んだ南外輪山の舌状台地の中央に位置し、社殿は鳥居より石段を百数十段下ったところにある、いわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置。
鵜戸神宮(宮崎県日南市)、一之宮貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮の一つに数えられる。
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