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さいがんでんじ|天台宗阿蘇山

西巌殿寺の御由緒・歴史
公式熊本県 阿蘇駅

ご本尊十一面観世音菩薩
創建時代726年(神亀3年)
開山・開基最栄読師(さいえいとくし)
ご由緒

 阿蘇山西巌殿寺のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まりでした。そもそも日本では、山は死者の世界であり同時に豊かな実りを生む水の源として信仰の対象とされていました。そのはかりしれぬ神秘を人々は畏(おそ)れ崇拝していましたし、その一方では、山へ入り、修行を積み、神霊の意志を伝えようとする山岳修行者もいました。
 そのような意味で、火を噴く山・阿蘇も当時の朝廷から関心を寄せられておりました。そこで、神の住む阿蘇の湯溜まりのもとで修行せんと、天竺から来朝していた最栄読師という僧侶が阿蘇山にやって来ます。読師は噴火口めざして山を登り、修行に励みました。ところが、火口から中を覗き込んでみると、そこには目を覆うような地獄の世界が広がっているではありませんか。鬼に責められ、またはお互いを殴り合いその肉を食らいつく亡者たち…。その光景に読師はとても心を痛め、悲しい気持ちで山を下りようとしました。
 そのときです。目の前に九つの頭を持つ大きな龍が天空をついて現れ、「火口の中を見てみなさい」と読師に告げました。その龍は阿蘇神社の祭神、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の変化した姿でした。阿蘇明神の言を受け、読師がおそるおそる火口の中を覗きこむと、そこには先ほどの亡者たちをかばい鬼に打たれ、争う亡者たちの仲裁に入る慈愛に満ちた十一面観世音菩薩の姿があったのです。あまりに尊いその姿に心打たれた読師は、登山途中見つけた霊木に心を込めて十一面観世音菩薩お姿を一心不乱に彫りました。そして火口の西の洞窟(巌殿)に安置してご本尊として祀り、毎日法華経を読んで修行に励んだのです。人々は、そこを西の巌殿の寺と呼び、崇めました。これが、西巌殿寺の寺号の由来です。

歴史
歴史[編集] 開基には二説ある。寺院が採る726年(神亀3年)説は、天竺毘舎衛国から渡来した僧・最栄が聖武天皇の勅願を受け、阿蘇山上に上り阿蘇明神・建磐龍命(たていわたつのみこと)[1]を感得したとするものである。1144年(天養元年)説は、比叡山の慈恵大師良源の弟子・最栄が阿蘇神社大宮司友孝の許しを得て、阿蘇山上に上ったとする説である[2]。どちらの説にも共通するのは、阿蘇山の火口の西の巌殿に十一面観音菩薩を安置して庵(山上本堂)を開き、絶えず法華経を読誦したため「最栄読師(さいえいとくし)」と呼ばれたとするものである。 阿蘇山上に最栄が庵を開いてから、多くの修行僧、修験者が阿蘇山上に...Wikipediaで続きを読む
引用元情報西巌殿寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E5%B7%8C%E6%AE%BF%E5%AF%BA&oldid=98277577

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