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にしおかじんぐう

西岡神宮の御由緒・歴史
熊本県 緑川駅

ご祭神春日大神
八幡大神
住吉大神
ご神体不詳
創建時代和銅六年(713年)
創始者不詳
ご由緒

当宮は、元明天皇により宇土の地の総鎮護として和銅6年(713年)、中原(壇原)に創建されたことが始まりです。当初は春日大神と住吉大神の勧請でありましたが、承久3年(1048年)、藤原道隆が八幡宮を合わせて祀ったので三宮大明神と称することとなり、現在でも三宮さんの名で親しまれています。
宇土周辺の氏族の尊崇を受けましたが、天正16年(1588年)に宇土を治めていた戦国武将小西行長の社殿焼き討ちにあいました。その後、慶長6年(1601年)、新たに治めることとなった加藤清正により、現在の地に再興され、さらに後の肥後熊本藩主・細川氏代々の保護を受け現代の形になりました。当宮には、神の宿る岩「磐座 百官石」がございます。ご神体なのですが、社殿が作られたことにより信仰が神石である御神体からは遠のき、神社そのものに変わっていきました。
毎年10月19日には三社の御神輿が街を練り歩き盛況な賑わいを見せます。260年以上の伝統を誇るものですので、御神幸、庄官、御獅子舞、流鏑馬等々、見応えのある祭です。祭期中に行われる御獅子舞は県の無形民俗文化財にも指定されています

歴史
由緒[編集] 社伝によれば、和銅6年(713年)、元明天皇の勅願により宇土地域の総鎮護として中原(壇原)に創建された。はじめは春日大神と住吉大神の勧請であったが、承久3年(1048年)、関白藤原道隆により八幡宮を合わせて祀ったので三宮大明神と称することとなり、現在でも三宮さんの名で親しまれている[1][2]。 中世には菊池氏、宇土氏、名和氏ら代々の領主の尊崇を受けたが、天正16年(1588年)に小西行長の社殿焼き討ちにあい、神体はしばらく山中に隠し祀られた[3]。 慶長6年(1601年)、加藤清正により、現在の地に再興され、後の肥後熊本藩主・細川氏代々の崇拝、保護を受け現在に至る[4]。...Wikipediaで続きを読む
引用元情報西岡神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=101307367

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