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代継宮ではいただけません
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代継宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年04月11日(木)
参拝:2019年4月吉日
村上天皇の御代、応和元年(961年)に肥後の国司として紀師信公が当国赴任の際、茶臼山南麗(現花畑公園)に、肥後の国の守護神として祀り、宮城の四隅に木を植えて四木宮と称したのを創祀とします。
慶長七年(1602年)、国主加藤清正公が茶臼山に熊本城を築城するにあたり、「尚城頭より見下ろすことは甚だ恐れ多し」として、白川河畔、本荘の地に遷座されました。寛永十四年(1637年)藩主細川綱利公が幼少にして襲封され、“これ一に神徳の加護によるもの”として、旧来の「四木宮」を「代継宮」と改称せしめ、自筆の神号額を献奉されました。天明元年(1781年)細川重賢公は社殿を造営し、先祖細川藤孝公を合祀して、和歌管絃祭を行なわれました。
白川改修工事に伴い、平成元年、現地(立田山東峰天拝山頂上)天を拝む山に社殿を造営して遷座されました、由緒深き古宮であります。
当宮は、その名の由来通り、”代を継ぐ“神社として、家督相続祭・後継者継承・安産祈願祭・子宝の神として信仰されております。
また、参勤交代時代、安全祈願祭が執り行われた、代継宮海陸航路安全守護の御札や、熊本の最古の地図があるとおり、交通安全の神としても尊崇されております。
雨の浮橋(あめのうきはし)
古事記によると、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」が降り立ち、御二人で『天の沼鉾(ぬぼこ)』を手に取り日本の国をお造りになったと言われる、まさに愛の始まりの場所です。あなたの大切な方とご一緒に、天に最も近い神の御橋で永久の愛を誓いましょう。
慶長七年(1602年)、国主加藤清正公が茶臼山に熊本城を築城するにあたり、「尚城頭より見下ろすことは甚だ恐れ多し」として、白川河畔、本荘の地に遷座されました。寛永十四年(1637年)藩主細川綱利公が幼少にして襲封され、“これ一に神徳の加護によるもの”として、旧来の「四木宮」を「代継宮」と改称せしめ、自筆の神号額を献奉されました。天明元年(1781年)細川重賢公は社殿を造営し、先祖細川藤孝公を合祀して、和歌管絃祭を行なわれました。
白川改修工事に伴い、平成元年、現地(立田山東峰天拝山頂上)天を拝む山に社殿を造営して遷座されました、由緒深き古宮であります。
当宮は、その名の由来通り、”代を継ぐ“神社として、家督相続祭・後継者継承・安産祈願祭・子宝の神として信仰されております。
また、参勤交代時代、安全祈願祭が執り行われた、代継宮海陸航路安全守護の御札や、熊本の最古の地図があるとおり、交通安全の神としても尊崇されております。
雨の浮橋(あめのうきはし)
古事記によると、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」が降り立ち、御二人で『天の沼鉾(ぬぼこ)』を手に取り日本の国をお造りになったと言われる、まさに愛の始まりの場所です。あなたの大切な方とご一緒に、天に最も近い神の御橋で永久の愛を誓いましょう。
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