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こんごうふくじ|真言宗豊山派蹉跎山(さださん)

金剛福寺
高知県 古津賀駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内前 普通40台・マイクロバス5台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第38番

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月23日(火)
176投稿

【蹉跎山・足摺山(さだざん・あしずりざん)補陀落院(ふだらくいん)金剛福寺(こんごうふくじ)】
本尊:三面千手観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:弘法大師
 金剛福寺は、四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にある。822(弘仁13)年弘法大師(774-835)はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地「補陀落(ふだらく)(インドの南海岸)」を感じたという。ときの第52代 嵯峨天皇(在位809-823)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。

金剛福寺(高知県)

【38_T.Hamada's view】

金剛福寺(高知県)

【38_足摺岬の突端】
 足摺岬は古来より憧れの修行の地。あまりにも険しい道のりから「大師も足摺った」とか。ここから大師は亀に乗って修行に出かけたとも言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

金剛福寺の本殿

【38_本堂】

金剛福寺(高知県)

【38_大師堂】

金剛福寺(高知県)

【38_仁王門(補陀落東門)】

金剛福寺(高知県)

【38_仁王門(補陀落東門)】
 新しくなった嵯峨天皇の勅額「補陀落東門」

金剛福寺の像

【38_仁王阿形像】

金剛福寺(高知県)

【38_仁王吽形像】

金剛福寺(高知県)

【38_龍の手水舎】

金剛福寺(高知県)

【38_多宝塔】

金剛福寺(高知県)

【38_六角堂】

金剛福寺(高知県)

【38_鐘楼堂】

金剛福寺(高知県)

【38_愛染堂】

金剛福寺(高知県)

【38_大師亀】
 頭をなでると幸運が訪れるという。

金剛福寺の仏像

【38_如来・菩薩像】
 本堂を三方から囲んで配置されている。

金剛福寺の仏像

【38_十三仏】
 金剛福寺の駐車場のそば、五色の巨石の庭に並んでいる。

金剛福寺(高知県)

【38_真念庵】
 第38番札所 金剛福寺から30km、次の第39番札所 延光寺まで26kmの位置に四国遍路の番外札所とする真念庵がある。真念は江戸時代前期、大阪寺島に住んだ高野聖(こうやひじり)。1687(貞享(じょうきょう)4)年、四国遍路のガイドブック「四國徧禮道指南(しこくへんろみちしるべ)」を出版し人々に広く遍路を勧めたことから「四国遍路の父」と呼ばれる。
 真念は勧進によって四国八十八ヶ所の遍路道に200基を超える石の道標を建立し、また1682(天和2)年頃、難行行程の37番札所 岩本寺から38番札所 金剛福寺までと、次の39番札所 延光寺の3寺を結ぶ遍路道の中間点の市野瀬に、地元の人々の協力で大師堂を建立した。大師堂は足摺岬金剛福寺の打戻りの宿や荷物置き場として遍路に利用され、真念の名を冠して真念庵と呼ばれた。

金剛福寺(高知県)

【38_真念庵】
 2020(令和2)年に再建。

金剛福寺の御朱印
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金剛福寺の基本情報

住所高知県土佐清水市足摺岬214-1
行き方

中村駅より高知西南交通 足摺岬行き「足摺岬」下車 (0.1km)
37【岩本寺】より
(自家用車)約2時間30分 約94km
(徒歩)約25時間 約86.5km
39【延光寺】より
(自家用車)約2時間 約74km
(徒歩)約18時間 約56km

アクセスを詳しく見る
名称金剛福寺
読み方こんごうふくじ
参拝時間

納経所/7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0880-88-0038
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊三面千手観世音菩薩
山号蹉跎山(さださん)
院号補陀洛院(ふだらくいん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代弘仁13年(822)
開山・開基弘法大師
文化財

木造(三面)千手観音立像および両脇侍立像(不動明王・毘沙門天)、木造二十八部衆立像、木造風神・雷神像、愛染明王坐像、高野大師行状図画五巻(県指定保護有形文化財)
多宝塔、十三石塔、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像、鰐口、梵鐘、手洗鉢、宝篋印塔、絵画8件(絹本著色胎蔵界曼荼羅図・絹本著色金剛界曼荼羅図・絹本著色理趣曼荼羅図・絹本著色白赤不動尊像図・絹本著色地蔵尊像図・絹本著色弘法大師像図・金剛福寺の大勝金剛曼荼羅・道興准后筆の不動明王画図)、工芸品5件(接僧箱・角手洗・青磁草花文尊及青磁唐草文瓶・呉須皿鉢・金剛福寺の仏飯器)、彫刻4件(嵯峨天皇勅額・金剛福寺額・懸仏千手観音像・元和の石灯籠)、書跡7件(紺紙金泥法華経八巻・紺紙金泥法華経法師品・金剛福寺古文書・土佐国幡多庄地検帳・土佐国畑庄足摺地検書・足摺縁起書二巻・明写経)(土佐清水市有形文化財)
足摺岬のクワズイモ群落(土佐清水市天然記念物)

ご由緒

四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観世音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となり、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。

体験御朱印宿坊札所・七福神巡り

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