こんごうふくじ|真言宗豊山派|蹉跎山(さださん)
金剛福寺高知県 古津賀駅
納経所/7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内前 普通40台・マイクロバス5台(無料) |
御本尊 三面千手観世音菩薩
四国の最南端、境内は120,000㎡
弘法大師が49歳のころ開山と言われてます。
四国八十八箇所第三十八番
御詠歌
ふだらくやここは岬の船のさを
とるもすつるも法の蹉跎山
奇石に囲まれた手水舎の龍さん
大師亀
足摺の七不思議の一つ
足摺岬の突端に亀呼岩があり、弘法大師が亀を呼び眼前に浮かぶ不動岩に渡り修行したと伝えられています。
いろんな願いを叶えてくれるんだそうです✨️
多宝塔 源頼光公が清和天皇菩提の為に建立
御本尊 胎蔵会大日如来
御本堂裏には五智如来 十三仏 千手観音の鋳造仏等、108もの仏像が安置されています。
圧巻❣️
愛染堂 権現堂 行者堂
四国最南端の足摺岬にある金剛福寺
車🚗³₃でも遠い💦
昔の人は凄いです🚶🏻🚶♀️👣👣👏
紫式部も訪れた歴史あるお寺♡
【蹉跎山・足摺山(さだざん・あしずりざん)補陀落院(ふだらくいん)金剛福寺(こんごうふくじ)】
本尊:三面千手観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:弘法大師
金剛福寺は、四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にある。822(弘仁13)年弘法大師(774-835)はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地「補陀落(ふだらく)(インドの南海岸)」を感じたという。ときの第52代 嵯峨天皇(在位809-823)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。
【38_T.Hamada's view】
【38_足摺岬の突端】
足摺岬は古来より憧れの修行の地。あまりにも険しい道のりから「大師も足摺った」とか。ここから大師は亀に乗って修行に出かけたとも言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【38_本堂】
【38_大師堂】
【38_仁王門(補陀落東門)】
【38_仁王門(補陀落東門)】
新しくなった嵯峨天皇の勅額「補陀落東門」
【38_仁王阿形像】
【38_仁王吽形像】
【38_龍の手水舎】
【38_多宝塔】
【38_六角堂】
【38_鐘楼堂】
【38_愛染堂】
【38_大師亀】
頭をなでると幸運が訪れるという。
【38_如来・菩薩像】
本堂を三方から囲んで配置されている。
【38_十三仏】
金剛福寺の駐車場のそば、五色の巨石の庭に並んでいる。
【38_真念庵】
第38番札所 金剛福寺から30km、次の第39番札所 延光寺まで26kmの位置に四国遍路の番外札所とする真念庵がある。真念は江戸時代前期、大阪寺島に住んだ高野聖(こうやひじり)。1687(貞享(じょうきょう)4)年、四国遍路のガイドブック「四國徧禮道指南(しこくへんろみちしるべ)」を出版し人々に広く遍路を勧めたことから「四国遍路の父」と呼ばれる。
真念は勧進によって四国八十八ヶ所の遍路道に200基を超える石の道標を建立し、また1682(天和2)年頃、難行行程の37番札所 岩本寺から38番札所 金剛福寺までと、次の39番札所 延光寺の3寺を結ぶ遍路道の中間点の市野瀬に、地元の人々の協力で大師堂を建立した。大師堂は足摺岬金剛福寺の打戻りの宿や荷物置き場として遍路に利用され、真念の名を冠して真念庵と呼ばれた。
【38_真念庵】
2020(令和2)年に再建。
住所 | 高知県土佐清水市足摺岬214-1 |
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行き方 | 中村駅より高知西南交通 足摺岬行き「足摺岬」下車 (0.1km)
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名称 | 金剛福寺 |
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読み方 | こんごうふくじ |
参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
トイレ | 駐車場にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0880-88-0038 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 三面千手観世音菩薩 |
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山号 | 蹉跎山(さださん) |
院号 | 補陀洛院(ふだらくいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 弘仁13年(822) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 木造(三面)千手観音立像および両脇侍立像(不動明王・毘沙門天)、木造二十八部衆立像、木造風神・雷神像、愛染明王坐像、高野大師行状図画五巻(県指定保護有形文化財)
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ご由緒 | 四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
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体験 | 御朱印宿坊札所・七福神巡り |
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