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こうのみねじ|真言宗豊山派竹林山(ちくりんざん)

神峯寺
公式高知県 唐浜駅

檀家以外の参拝
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普通車30台

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八ヶ所第27番札所

おすすめの投稿

sasaki3
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2024年09月08日(日)
1097投稿

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
27番 神峯寺

神峯寺の御朱印

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
27番 神峯寺

神峯寺(高知県)

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年05月11日(土)
1973投稿

1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の4寺院目です。
3寺院までは高知中心部を巡っていたのですが 前回 日帰りのときにぎりぎりお参りできなかった安芸のお寺にお参りしました。
安芸と言えば 阪神タイガースがキャンプしていた場所でもあり 違った思い入れもある地です。
大日寺から約1時間ほどかけて 室戸の方へ進みます。(巡礼の順としては戻ります)
海岸線を走っていたからですが 津波非難用のタワーっていうのか建造物が当たり前のように見られました。
ビルにしたら4階ぐらい以上はあると思いますが 鉄骨で階段を組んでいる建造物です。
地震に対する準備&意識の高さを感じました。素晴らしいです。
国道55号線を走り 安田町に入ってからは集落と田畑を横切って山道に入ります。
2kmぐらい山道を走ったと思うのですが 道はさらに細くなり カーブも急になり すれ違いポイントも少ない やばーい道になりました。
対向車来ないで! と願いながら車を走らせました。
何とか駐車場に車を停め 参道を歩きます。仁王門をくぐり 柱門まで200mほど歩きます。
鐘楼や庫裡のある場所と 本堂のある場所には落差があり 赤い手すりのある階段をけっこう上ります。
階段横にある植栽は きれいに刈り込まれていて ユニークな形に整えられているので 見ていて楽しいですし美しいです。
本堂と経堂はつながっているのですが どちらも歴史を感じる建物で 木組みが曲がっていて美しいです。
さらに階段を上がると大師堂があります。
こちらはお堂の横に 由縁が書かれていました。
なかなかの山寺 上下運動が多くて 少し疲れましたが 建物と眺望の美しさに大満足でした。

山号は竹林山 院号は地蔵院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)天平2年(730年) 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:みほとけのめぐみの心神峯(こうのみね) 山も誓いも高き水音
でした。

由緒については
神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀った神社が起源とされ 天平2年(730年)に聖武天皇の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み 本尊として神仏合祀し開創したという。
その後大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。
その後 堂塔が多くあったが 元和年間(1615年 – 1624年)火災によりすべて焼失 その後 本堂と大師堂と鎮守社のみ再建され 十一面観音も麓にあって廃寺になっていた別当の神峯寺から納めて復調する。
しかし 険しい山中の札所ゆえ別当になっていた麓の常行禅寺や前札所の養心庵(明治の神仏分離時点でどちらも廃寺)で遥拝し納経するものも多かった。
なお 江戸末期 常行禅寺での納経帳に「奉納 本尊十一面観音 土州竹林山 神峯」と記されている。
明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り 寺院としての部分は廃寺となり 本尊と札所は金剛頂寺に預けられ 金剛頂寺で納経をしていたが 1887年(明治20年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。
1912年(大正元年)には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移した。
そして 昭和に入って それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
とありました。

神峯寺(高知県)

山奥なのが分かります

神峯寺(高知県)

由緒書

神峯寺(高知県)

ちょっと変わった石仏?

神峯寺(高知県)

慈愛とありますが・・・何かわかりません

神峯寺(高知県)

山門と鳥居がすぐ近くにあります 神峯寺と神峯神社です

神峯寺(高知県)
神峯寺(高知県)

ようやく山門(仁王門)です

神峯寺(高知県)

石柱

神峯寺(高知県)

金剛力士像はまだ新しいです

神峯寺(高知県)
神峯寺(高知県)

境内へはまだ道が続きます

神峯寺(高知県)

烏芻沙摩明王 下の神様です

神峯寺(高知県)

トイレのすぐ横にあります

神峯寺(高知県)

ようやくです

神峯寺(高知県)

柱門

神峯寺(高知県)

柱門の柱

神峯寺(高知県)
神峯寺(高知県)

庫裡だと思います

神峯寺(高知県)

庫裡の門は閉まっています

神峯寺(高知県)

鐘楼

神峯寺(高知県)

本堂に上がる階段 けっこうきついです

神峯寺(高知県)

途中に水子地蔵尊

神峯寺(高知県)

オブジェのような植栽

神峯寺(高知県)

山奥だからでしょうか 交通安全祈願です

神峯寺(高知県)

庫裡と納経所を見下ろすと 海も見えます

神峯寺の建物その他

上から見たら ますますオブジェに見えます

神峯寺(高知県)
神峯寺(高知県)

不動明王でしょうか

神峯寺(高知県)

みちびき弘法大師像

神峯寺(高知県)

本堂

神峯寺(高知県)

ご本尊は十一面観世音菩薩です

神峯寺(高知県)

木組みのカーブがおもしろい

神峯寺(高知県)

扁額

神峯寺(高知県)

歴史を感じますね

神峯寺(高知県)

内陣

神峯寺(高知県)
神峯寺(高知県)

経堂 昔はこちらが大師堂だったそうです

神峯寺(高知県)

扁額

神峯寺(高知県)

内陣

神峯寺(高知県)

さらに階段を進みます

神峯寺(高知県)

由縁が書かれています

神峯寺(高知県)

大師堂

神峯寺(高知県)

これ何て言うんですか よく見かけます

神峯寺(高知県)

内陣

神峯寺(高知県)

記念の石柱

神峯寺(高知県)

お迎え大師像

神峯寺(高知県)

四国八十八か所 お砂ふみ

神峯寺(高知県)
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to_sun
to_sun
2023年05月14日(日)
310投稿

【竹林山(ちくりんざん)地蔵院(じぞういん)神峯寺(こうのみねじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
 神峯寺の起源は古く、神功(じんぐう)皇后(在位201-269)が天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀った神社とされている。その後、730(天平2)年、第45代 聖武天皇(在位724〜749)の勅願により、行基菩薩が十一面観音像を本尊とし、その後弘法大師(774-835)が伽藍を建立した。当時は神仏合祀だったが、明治政府の神仏分離令で一時廃寺、明治中期にようやく再興されている。

神峯寺(高知県)

【27_T.Hamada's view】
 仁王門と鳥居

神峯寺(高知県)

【27_参道脇の花】
 真っ縦と呼ばれる石段は、春は桜、初夏はつつじ、秋は紅葉に美しく彩られる。山門横には鳥居が立つ、神仏集合の寺。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

神峯寺(高知県)

【27_本堂】

神峯寺(高知県)

【27_大師堂】

神峯寺(高知県)

【27_仁王門】

神峯寺の像

【27_仁王阿形像】

神峯寺の像

【27_仁王吽形像】

神峯寺の像

【27_みちびき弘法大師】
 後方左が本堂、右が経堂。

神峯寺(高知県)

【27_神峯の水】
 鐘楼裏に湧く神峯の水は病気平穏に霊験あらたかといわれる。

神峯寺(高知県)

【27_神峯寺の庭園】
 美しい庭園を眺めながら石段を上って本堂へ。手すりの赤と整えられた緑のコントラストが美しい。

神峯寺(高知県)

【27_烏枢沙摩(うすさま)明王】
 この世のすべてを清め悪を食べつくす明王。特に厠(便所)を守護して下さるそうで、トイレのそばに祀られている。

神峯寺の御朱印
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神峯寺の基本情報

住所高知県安芸郡安田町唐浜2594
行き方

26番札所【金剛頂寺】より
(自家用車)約 1時間 約32km
(徒歩) 約 8時間 約30km

28番札所【大日寺】より
(自家用車)約 1時間 約38km
(徒歩) 約10時間 約38km

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名称神峯寺
読み方こうのみねじ
参拝時間

7:00~17:00

参拝にかかる時間

約30分

トイレ駐車場と境内あり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0887-38-5495
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号竹林山(ちくりんざん)
院号地蔵院(じぞういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平2年(730)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。
幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し往復20kmの道のりを21日間日参したという話は、いまも伝わっている。
縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。
明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。
昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。

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