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こんごうちょうじ|真言宗豊山派龍頭山(りゅうずざん)

金剛頂寺へのアクセス・駐車場
高知県 奈半利駅

住所高知県室戸市元乙523
行き方

高知東部交通 「元橋」下車 (1.2km)
25【津照寺】より
(自家用車)約15分 約3km
(徒歩)約1時間30分 約4km
27【神峯寺】より
(自家用車)約1時間30分 約33km
(徒歩)約8時間 約30.5km

駐車場

仁王門下 普通20台、大型3台(納経所にて:普通200円、マイクロ400円)

参拝時間

7:00~17:00

電話番号0887-23-0026
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

駐車場に関する投稿

のぶ
のぶ
2024年01月21日(日)
24投稿

室戸岬御来光一人旅にて御来光を拝んだあと、最御崎寺、津照寺を巡拝しました。
両寺共に雰囲気も景色も素晴らしいお寺で、心が洗われるような時間を過ごすことが出来ました。

次に向かったのは第二十六番札所「竜頭山 光明院 金剛頂寺」です。
二十五番の津照寺から国道55号線を西に走ります。
陽光の明るい海沿いの道を3~4キロほど走り、標識に従い国道から北の山中に入っていきます。
つづら折りの道を5分ほど走ります。
途中少し細いところもありますが、対向車と離合できないほどでもないので、そこまで走りにくくはない道です。
走っていくと山門手前に駐車場があります。
普通車で20台ほど止められそうです。
ちなみに駐車場は有料でご納経をいただく際に納経所で普通車は200円を併せてお支払いします。

山門をくぐると左側に手水舎があり、右側に御手洗です。
そこから正面に進むと本堂、右側に鐘楼と左側に納経所があります。
本堂はかなり立派で威厳のある建物です。

金剛頂寺は807年に弘法大師が平城天皇の勅願で開いたとされるお寺です。
本尊は薬師如来像です。
当初は女人禁制のお寺で、婦女子は約4キロ離れたところにある女人堂から拝んでいたそうです。

このお寺で有名なのはなんと言っても霊宝殿で、平安時代に大師が各地を旅したときに使ったと言われる「金銅旅壇具」などの重要文化財が多数収蔵されています。
事前予約で内部を拝観できると先述したアニメ「おへんろ」にて説明していましたが、今はどうなのでしょうか?

津照寺は海のお寺みたいな雰囲気でしたが、金剛頂寺は一転して山のお寺といった感じです。
最御崎寺が東寺と呼ばれているのに対し金剛頂寺は西寺と呼ばれて親しまれているようです。
初詣の参拝客も多数来られていました。

境内には他にも鯨の供養塔や、がん封じの椿、弘法大師が炊いたお米が一万倍に増えたとされる「一粒万倍の釜」など見どころが沢山あります。

余談ですが山の雰囲気の金剛頂寺も駐車場の真上あたりから海が望めます。

ちなみにご納経にも西寺となっていましたね。

さすがに南国でとても暖かく、陽光も眩しくて南国気分です。
御来光を拝んでお風呂に入ってから三ヶ寺をお参りし、お昼も過ぎたのでそろそろお昼を食べたくなりました。

昼食を探してさまよいつつ、御厨人窟を目指すことにしました。

金剛頂寺(高知県)

山門前の厄坂です。

金剛頂寺の建物その他
金剛頂寺(高知県)

山門です。

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

鐘楼です。

金剛頂寺(高知県)

威厳のある本堂です。

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

がん封じの椿

金剛頂寺(高知県)

一粒万倍の釜です

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺の建物その他

霊宝殿です。

金剛頂寺(高知県)

中を見学してみたかったですね。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年02月24日(土)
2213投稿

憧れの四国八十八霊場巡り日帰り4日目最後のお寺です。
最御崎寺が東寺と呼ばれ こちらの金剛頂寺は西寺と呼ばれています。
津照寺から海岸線を少し走り 少し突き出た半島みたいな所で山道にシフトチェンジ 10分ほどで到着します。
山上なのに こちらもとても立派なお寺です。
歴史を感じる古い建物が多く それはそれは素敵です。
駐車場から仁王門までは厄坂を少し上ります。(きつくはないです)
仁王門は彩色がされておらず 古い木の色そのもの 大好きです。
門の先にもまた階段がありますが これもへっちゃら。
けっこう広い境内ですが とてもきれいに手入れされています。
不思議だったのが 大師堂が西向きだったこと。
他の建物はみな南向きだったのですが 境内の方(東向き)なら分かるのですが どうしてでしょう。
あと一粒万倍の釜がありました。由緒などは不明です。
夕刻近かったので 日の当たり方がきれいでした。
これで4日目の旅はおしまいです。

山号は龍頭山 院号は光明院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は(伝)嵯峨天皇(勅願)空海(弘法大師)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺(にしでら)の空
でした。

由緒については
寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた[2]。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され[3]、その後の16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。
鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。
文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、1899年(明治32年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である[3]。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。
とありました。

金剛頂寺(高知県)

駐車場

金剛頂寺(高知県)

仁王門につづく階段

金剛頂寺(高知県)

厄坂でした

金剛頂寺(高知県)

石柱

金剛頂寺(高知県)

由緒書

金剛頂寺(高知県)

仁王門

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

日本遺産でした

金剛頂寺(高知県)

境内へ

金剛頂寺(高知県)

手水の龍 目が金色です

金剛頂寺(高知県)

大師像でしょうか

金剛頂寺(高知県)

本堂

金剛頂寺(高知県)

鐘楼堂は6本柱

金剛頂寺(高知県)

稚児大師 大師が5~6歳のころ

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

香炉も龍

金剛頂寺(高知県)

寺標

金剛頂寺(高知県)

金剛頂寺和讃

金剛頂寺(高知県)

瑠璃光殿

金剛頂寺(高知県)

霊寶殿

金剛頂寺(高知県)

天狗問答

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

大師堂

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

大師堂だけ 外向きです

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

がん封じの椿

金剛頂寺(高知県)

一粒万倍の釜

金剛頂寺(高知県)
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