こんごうちょうじ|真言宗豊山派|龍頭山(りゅうずざん)
金剛頂寺高知県 奈半利駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 仁王門下 普通20台、大型3台(納経所にて:普通200円、マイクロ400円) |
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺 一粒万倍の鎌
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り4日目最後のお寺です。
最御崎寺が東寺と呼ばれ こちらの金剛頂寺は西寺と呼ばれています。
津照寺から海岸線を少し走り 少し突き出た半島みたいな所で山道にシフトチェンジ 10分ほどで到着します。
山上なのに こちらもとても立派なお寺です。
歴史を感じる古い建物が多く それはそれは素敵です。
駐車場から仁王門までは厄坂を少し上ります。(きつくはないです)
仁王門は彩色がされておらず 古い木の色そのもの 大好きです。
門の先にもまた階段がありますが これもへっちゃら。
けっこう広い境内ですが とてもきれいに手入れされています。
不思議だったのが 大師堂が西向きだったこと。
他の建物はみな南向きだったのですが 境内の方(東向き)なら分かるのですが どうしてでしょう。
あと一粒万倍の釜がありました。由緒などは不明です。
夕刻近かったので 日の当たり方がきれいでした。
これで4日目の旅はおしまいです。
山号は龍頭山 院号は光明院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は(伝)嵯峨天皇(勅願)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺(にしでら)の空
でした。
由緒については
寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた[2]。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され[3]、その後の16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。
鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。
文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、1899年(明治32年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である[3]。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。
とありました。
駐車場
仁王門につづく階段
厄坂でした
石柱
由緒書
仁王門
日本遺産でした
境内へ
手水の龍 目が金色です
大師像でしょうか
本堂
鐘楼堂は6本柱
稚児大師 大師が5~6歳のころ
香炉も龍
寺標
金剛頂寺和讃
瑠璃光殿
霊寶殿
天狗問答
大師堂
大師堂だけ 外向きです
がん封じの椿
一粒万倍の釜
住所 | 高知県室戸市元乙523 |
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行き方 | 高知東部交通 「元橋」下車 (1.2km)
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名称 | 金剛頂寺 |
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読み方 | こんごうちょうじ |
通称 | 西寺(にしでら) |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 大師堂付近、駐車場にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0887-23-0026 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 龍頭山(りゅうずざん) |
院号 | 光明院(こうみょういん) |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 大同2年(807) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 銅造観世音菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、板彫真言八祖像、銅鐘(高麗時代)、金銅密教法具 一具、金銅旅壇具 一具、大毘盧遮那経7巻・金剛頂経3巻(重要文化財)
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ご由緒 | 室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4㎞のところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。
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体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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