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金剛頂寺ではいただけません
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こんごうちょうじ|真言宗豊山派龍頭山(りゅうずざん)

金剛頂寺
高知県 奈半利駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門下 普通20台、大型3台(納経所にて:普通200円、マイクロ400円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第26番

おすすめの投稿

sasaki3
sasaki3
2024年09月08日(日)
1097投稿

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺

金剛頂寺の御朱印

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺

金剛頂寺(高知県)

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お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
26番 金剛頂寺 一粒万倍の鎌

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年02月24日(土)
1973投稿

憧れの四国八十八霊場巡り日帰り4日目最後のお寺です。
最御崎寺が東寺と呼ばれ こちらの金剛頂寺は西寺と呼ばれています。
津照寺から海岸線を少し走り 少し突き出た半島みたいな所で山道にシフトチェンジ 10分ほどで到着します。
山上なのに こちらもとても立派なお寺です。
歴史を感じる古い建物が多く それはそれは素敵です。
駐車場から仁王門までは厄坂を少し上ります。(きつくはないです)
仁王門は彩色がされておらず 古い木の色そのもの 大好きです。
門の先にもまた階段がありますが これもへっちゃら。
けっこう広い境内ですが とてもきれいに手入れされています。
不思議だったのが 大師堂が西向きだったこと。
他の建物はみな南向きだったのですが 境内の方(東向き)なら分かるのですが どうしてでしょう。
あと一粒万倍の釜がありました。由緒などは不明です。
夕刻近かったので 日の当たり方がきれいでした。
これで4日目の旅はおしまいです。

山号は龍頭山 院号は光明院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は(伝)嵯峨天皇(勅願)空海(弘法大師)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺(にしでら)の空
でした。

由緒については
寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた[2]。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され[3]、その後の16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。
鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。
文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、1899年(明治32年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である[3]。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。
とありました。

金剛頂寺(高知県)

駐車場

金剛頂寺(高知県)

仁王門につづく階段

金剛頂寺(高知県)

厄坂でした

金剛頂寺(高知県)

石柱

金剛頂寺(高知県)

由緒書

金剛頂寺(高知県)

仁王門

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

日本遺産でした

金剛頂寺(高知県)

境内へ

金剛頂寺(高知県)

手水の龍 目が金色です

金剛頂寺(高知県)

大師像でしょうか

金剛頂寺(高知県)

本堂

金剛頂寺(高知県)

鐘楼堂は6本柱

金剛頂寺(高知県)

稚児大師 大師が5~6歳のころ

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

香炉も龍

金剛頂寺(高知県)

寺標

金剛頂寺(高知県)

金剛頂寺和讃

金剛頂寺(高知県)

瑠璃光殿

金剛頂寺(高知県)

霊寶殿

金剛頂寺(高知県)

天狗問答

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

大師堂

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

大師堂だけ 外向きです

金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)
金剛頂寺(高知県)

がん封じの椿

金剛頂寺(高知県)

一粒万倍の釜

金剛頂寺(高知県)
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金剛頂寺の基本情報

住所高知県室戸市元乙523
行き方

高知東部交通 「元橋」下車 (1.2km)
25【津照寺】より
(自家用車)約15分 約3km
(徒歩)約1時間30分 約4km
27【神峯寺】より
(自家用車)約1時間30分 約33km
(徒歩)約8時間 約30.5km

アクセスを詳しく見る
名称金剛頂寺
読み方こんごうちょうじ
通称西寺(にしでら)
参拝時間

7:00~17:00

トイレ大師堂付近、駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0887-23-0026
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号龍頭山(りゅうずざん)
院号光明院(こうみょういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代大同2年(807)
開山・開基弘法大師
文化財

銅造観世音菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、板彫真言八祖像、銅鐘(高麗時代)、金銅密教法具 一具、金銅旅壇具 一具、大毘盧遮那経7巻・金剛頂経3巻(重要文化財)
金剛頂寺の仏画(県指定保護有形文化財)
ヤッコソウ自生地(県天然記念物)
絹本著色弘法大師像(室戸市指定文化財)

ご由緒

室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4㎞のところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。
次の嵯峨天皇(在位809〜23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823〜33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。
室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。

体験御朱印重要文化財札所・七福神巡り
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