あらくらじんじゃ
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楽しみ方荒倉神社のお参りの記録一覧
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高知市広報誌の情報によると…
江戸時代、藩主山内家はこの辺りを御狩り場とし、荒倉神社を直営しておりました。
竹崎五郎著『高知県神社誌』には、江戸時代に、二代藩主山内忠義以降の歴代藩主に篤く信仰され、神殿の造営や社領の寄付などがあって保護されていたと…
それ以前には、本山氏吉良氏などはここに合祀されていた諏訪大明神を軍神として信仰していた様です。
周辺には横手古墳、後田遺跡があります。
後田遺跡からは、川の神を祀(まつ)る祭器である古墳時代の土器などが多数出土しているので、六~七世紀頃には古代村落が成立していたと推測できるとの事。
昔から、この辺りは水の聖地だったのですね…
春野の昔話によると、ご神体は北向き
荒倉〔あらくら〕山の麓〔ふもと〕にある荒倉神社は天闇龗大神〔あめのくらたまたつのかみ〕を祀ったもので、天正年間、大野郷弘岡村と言っていた頃からの郷内の総鎮守〔そうちんじゅ〕でありました。
この荒倉山は、昔は猪・鹿・うさぎなどがたくさんいましたが、『お止め山』といって一般庶民は狩猟に入ることは出来ず、お殿様だけの狩り場となっていました。
この神社の西の方が狩り場の終点といったところで、山狩りの時、勢子〔せこ〕に追わして来た獲物を待ちかまえて撃ち止める場所になっていました。
殿様や側臣〔そくしん〕たちはここで見物したわけです。
二代目藩主忠義〔ただよし〕公は狩が好きで、たびたび各地の狩猟場へ出掛けました。
ある年、側臣や勢子を多数連れてこの荒倉山に来ました。
この日は獲物がたくさんあり、忠義公はたいそうごきげんでありました。
さっそくこの神社の馬場先で獲物を料理しました。
ところがその肉はなんぼ煮ても軟かくなりません。
煮ても煮ても煮えないというわけです。
家来たちは
「これは神前をけがしたからではないか。」
と話し合っていました。
忠義公はこれを聞いて
「領内のことはすべて藩主の意のままになるものだ。気に食わねばご神体を北向けにしておけ。」
と言われました。
このことがあってから、荒倉神社では、社殿は南向きでもご神体は北向きにしてお祀りするようになったといわれています。
土佐には大小五千近い神社があり、その大方は南向きで、東向き或は西向きのものも少しありますが、荒倉神社のように社殿に対してご神体が反対向きというのは例がないようです。
とありますが…もう殿様もいない事ですし、いつまでもそのままでは神様に失礼なので、途中でこっそり元の南向きに戻してくれてると信じたいですね。
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【八月二十二日参拝】
昔、とある神社のお祭りで知り合って、お話した神官さんに
「すっごい開運する神社やき、絶対行った方がいいで!!ホンマにえい神社やき!!珍しい龍神さんも祀られちゅうき!!」
とめちゃめちゃオススメされたけど、時間の経過とともに、うっかり忘れていたのですが…
この間、ちょっとばかり身内の世話をする為、地元に帰省してたのですが、ちょっとどころではなく丸一日潰れてしまったので、どこにも行けず、疲れてボーッとしていたら…
朝イチで一社だけならお参りに付き合ってあげるから、考えといて😀
その変わり、帰りに食材の買い出し付き合ってよ???
と妹に提案され、そう言えば行こう行こうと思いつつ、アクセス悪いから先延ばしにしてて、荒倉神社に行ってなかったな🤔と思い出し…
じゃあ私、荒倉神社に行きたいわ😄
と神社名だけ伝えて寝ました😴
翌朝、あの神社調べたけど、すっごい良さげよ😆
早く行こ!!と急かされて、サクッと準備して行ってきました😁
荒倉神社由緒
【鎮座地】高知市春野町弘岡中1113番地
当社は約1300年前に奈良県吉野郡下市町御鎮座の丹生川上神社から天闇龗大神を勧請(お迎え)したと言い伝えられており、後に奈良県の春日大社及び長野県の諏訪大社からも併せて四柱の神さまを勧請した弘岡上・中・下の旧三村(一部を除く)の総氏神であり、古来より災除けの神さまとして旧三村内外から崇敬が篤い。
【御祭神】天闇龗大神(あめのくらたまたつのおおかみ)
【合殿神社二社】
春日大社 天児屋根命 武甕槌神 経津主神
諏訪大社 建御名方神
【御神徳】
雨・水の恵み
家内安全
災除け(厄・星除・病気平癒・方除・事故除け等)
狩猟・争い事平定など
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