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光明寺ではいただけません
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光明寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月24日(木)
参拝:2020年6月吉日
光明寺は、神奈川県平塚市にある天台宗の寺院。山号は金目山。本尊は聖観世音菩薩。通称「金目観音」。坂東三十三所観音7番。
寺伝によると、創建は飛鳥時代の702年、現・大磯町の小磯の浜で塩汲みをしていた海女の桶に小さな観音像が入り、のちに道儀上人が堂宇を建てこの像を安置したのが始まり。その30年後、行基が高さ1.7mの観音像を刻み、その胎内に浜の観音像を納めたため「お腹ごもりの観音」と呼ばれるようになり、鎌倉時代には北条政子が源実朝の出産にあたり祈願した。
当寺は、小田急小田原線・東海大学前駅の南東2.5kmの金目川北岸の住宅街の中にある。境内は小ぢんまりしていて、見て廻るエリアは広くはない。コロナ禍にあっても坂東観音霊場はほぼすべてが御朱印は直書き(31寺)だったが、当寺のみ書置きだった(2020年6月時点、日輪寺は未参拝)。
今回は、坂東三十三観音札所であるため参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも数組の参拝者が来ていた。
寺伝によると、創建は飛鳥時代の702年、現・大磯町の小磯の浜で塩汲みをしていた海女の桶に小さな観音像が入り、のちに道儀上人が堂宇を建てこの像を安置したのが始まり。その30年後、行基が高さ1.7mの観音像を刻み、その胎内に浜の観音像を納めたため「お腹ごもりの観音」と呼ばれるようになり、鎌倉時代には北条政子が源実朝の出産にあたり祈願した。
当寺は、小田急小田原線・東海大学前駅の南東2.5kmの金目川北岸の住宅街の中にある。境内は小ぢんまりしていて、見て廻るエリアは広くはない。コロナ禍にあっても坂東観音霊場はほぼすべてが御朱印は直書き(31寺)だったが、当寺のみ書置きだった(2020年6月時点、日輪寺は未参拝)。
今回は、坂東三十三観音札所であるため参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも数組の参拝者が来ていた。
金目川の北岸にある境内入口。その奥は<仁王門>。推定16世紀建立、1987年解体修理。
仁王門から境内を覗く。仁王像は14世紀ごろの造立と言われ、関東最古の仁王像。
仁王門には大小さまざまな<わらじ>が掛けられているが、裸足の仁王像にわらじを納めて自分の体を守ってもらう願掛けとのこと。
仁王像をくぐってすぐ右側にある<水屋>。
正面に見える<本堂>。室町時代1498年建立、宝形造、柿葺形銅板葺。
<本堂>に懸かる<金目山>の扁額。
<本堂>内部正面。奥に本尊・聖観世音菩薩立像を安置。天上には大提灯と多数の千羽鶴が掛かっている。左手には<お賓頭盧さま(おびんずるさま)>とその左側の<聖徳太子像>。
<本堂>内部右側。珍しいことに<潮大権現>の社殿がある。
本堂の右側にある<歓喜堂(聖天尊)>。大聖歓喜大自在天を祀っている。魔障を除く守護神で、あらゆる願望が叶うと言われる。なお堂内には、七福神も祀られている。
歓喜堂の左手に建つ<文殊普賢堂>。文字通り、文殊菩薩と普賢菩薩を祀る。
文殊普賢堂から見た境内全景。写真右側、仁王門の手前は<鐘楼>。鐘楼の旧銅鐘が観音堂内陣に保管されているが、南北朝時代1352年の作。
文殊普賢堂から見た<本堂>。造形バランスの良い建物。屋根下の梁の赤銅色が美しい。
水屋の後ろにある<水琴窟>。写真右側に伸びる竹筒に耳を当てて聞く。
水琴窟の前を通り、境内東側に向かうと、山門のような門がある。表札には<坂東第七番奉納経所>と書かれている。
門をくぐると<本師堂>と書かれた扁額のかかる建物。その右側の建物が納経所。御朱印はこちら。(ただし、参拝時はコロナのためセルフ式の書置き)。
境内の南側を流れる<金目川>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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