いずもたいしゃさがみぶんし
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
出雲大社相模分祠のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月17日(月)
参拝:2021年4月吉日
出雲大社と言えば島根県。その出雲大社の「分祠」が神奈川県秦野市にあると知り、神奈川県民なら一度は訪れなければと思い行ってきました😊
「分祠」とは本社から神様を「分霊」して祀っているところ。神様は分霊しても本御霊には影響せず、分霊も同じご利益をもたらすとされています。その為ご利益は島根県にある出雲大社の本社と同じだそうです。出雲大社のご利益にあやかりたいけど、島根県までははなかなか行けない…神奈川なら!と言う方にお勧めです。
明治21年、時の出雲国造・千家尊福氏の要請により、市内の渋沢峠に分院として創建されました。昭和50年に現在地に移転。平成3年には分祠へと格上げされました。
出雲大社関連のお社は日本各地にありますが、その数は未公表。しかし小さいものも含めると数百はあると思われます。その中でも「分祠」は一番高い格付け。全国でも数えるほどしかないようです。
また島根県の本社から見て、ほぼ真東にこの相模分祠が位置しています。その為春分・秋分の日には太陽の光のラインが、本社と相模分祠を結ぶ関係にあるとか…。春分・秋分の日には更にご利益がUPしそうです。
境内の社務所の左側に祖霊社はあります。ご祭神は幽冥宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)。あまり聞き慣れないかも知れませんがそれもそのはず、大国主命の幽世(永久に変わらない神域。死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる)での神名です。なんだか神秘的な感じがする場所です。
出雲大社相模分祠の他にも御嶽神社、八坂神社、龍蛇神の社の御朱印もいただけます。
御嶽神社
御祭神として日本武命 ( やまとたけるのみこと ) ・大己貴命 ( おおなむちのみこと ) ・少彦名命 ( すくなひこなのみこと ) ・櫛真智命 ( くしまちのみこと )をお祀りする。
創立年歴は不詳であるが、建久三年(1192年)頃より神社前の参道を御嶽道と称し、平沢村の鎮守神として記録されている。
慶長13年(1602年)踊宮鈴張の地に将軍徳川家康公が鷹狩りに来た際に、当社に参拝、社殿の改修を命じ、翌年に極彩色の彫刻を備えた桧皮葺きの御本殿を改修した。昭和51年に本殿を覆う形で木造銅板葺の御社殿を修造し、現在の形となった。
奥に鎮座する本殿は慶長年間に改修された当時の姿である。
境内には、神輿蔵・金毘羅宮・神楽殿・石碑等、数多く祀られている。大正12年、神木が倒木したが、年輪が980もあった。
八坂神社
御祭神として須佐之男命 ( すさのおのみこと ) ・大国主命 ( おおくにぬしのみこと )をお祀りする。
八坂神社の創立年月日は不祥であるが、400年前より当地にあり境内の欅の大木は約1000年を数える古木である。
当社の社殿は昭和42年、御嶽神社新築の際、古い社を移築したもので、昭和60年、屋根は銅版葺きとした。
疫病よけの御利益をもつとされる。
龍蛇神の社
出雲地方に古来より伝わる龍蛇神様を千年の杜の守り神としてお祀りする。
古くより、出雲の地では旧暦10月10日に全国の神々が参集し、縁結びの会議がなされるといわれる。
10月を神無月と呼ぶ所以でもあり、出雲地方では神在月(かみありつき)・お忌みさん(おいみさん)とも称し特別な信仰がある。神々が集う出雲の地に全国の神々をご案内・先導する神様が龍蛇神様である。縁結び・金運の御利益があるとされる。
出雲大社には、他の神社ではあまり見られない様式や慣習が残ることでも知られています。この相模分祠でも、同じ様式が見られるのです。
お参りは出雲大社と同じ「四拍手」
多くの神社は参拝する時に「二礼二拍手一礼」が作法とされていますが、出雲大社での通常の参拝は「二礼四拍手一礼」です。相模分祠での拍手も同じ回数となっています。
注連縄
注連縄も、多くの神社では右から左へ縄を綯いますが、出雲大社では左から右です。これは、一般的には神様に向かって右が上位とされ左が下位とされていることから右から始められるようですが、出雲大社では逆に左が上位とされていることから注連縄も逆になっているそうです。もちろん、相模分祠でも出雲大社と同じく左から綯う注連縄です。
大社造の建物
建物も、出雲大社に代表される神社建築様式の「大社造」です。大社造は、本を開いて伏せたような形である「切妻」の屋根の建物で、三角の面が正面となる「妻入り」と呼ばれる形式です。
「分祠」とは本社から神様を「分霊」して祀っているところ。神様は分霊しても本御霊には影響せず、分霊も同じご利益をもたらすとされています。その為ご利益は島根県にある出雲大社の本社と同じだそうです。出雲大社のご利益にあやかりたいけど、島根県までははなかなか行けない…神奈川なら!と言う方にお勧めです。
明治21年、時の出雲国造・千家尊福氏の要請により、市内の渋沢峠に分院として創建されました。昭和50年に現在地に移転。平成3年には分祠へと格上げされました。
出雲大社関連のお社は日本各地にありますが、その数は未公表。しかし小さいものも含めると数百はあると思われます。その中でも「分祠」は一番高い格付け。全国でも数えるほどしかないようです。
また島根県の本社から見て、ほぼ真東にこの相模分祠が位置しています。その為春分・秋分の日には太陽の光のラインが、本社と相模分祠を結ぶ関係にあるとか…。春分・秋分の日には更にご利益がUPしそうです。
境内の社務所の左側に祖霊社はあります。ご祭神は幽冥宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)。あまり聞き慣れないかも知れませんがそれもそのはず、大国主命の幽世(永久に変わらない神域。死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる)での神名です。なんだか神秘的な感じがする場所です。
出雲大社相模分祠の他にも御嶽神社、八坂神社、龍蛇神の社の御朱印もいただけます。
御嶽神社
御祭神として日本武命 ( やまとたけるのみこと ) ・大己貴命 ( おおなむちのみこと ) ・少彦名命 ( すくなひこなのみこと ) ・櫛真智命 ( くしまちのみこと )をお祀りする。
創立年歴は不詳であるが、建久三年(1192年)頃より神社前の参道を御嶽道と称し、平沢村の鎮守神として記録されている。
慶長13年(1602年)踊宮鈴張の地に将軍徳川家康公が鷹狩りに来た際に、当社に参拝、社殿の改修を命じ、翌年に極彩色の彫刻を備えた桧皮葺きの御本殿を改修した。昭和51年に本殿を覆う形で木造銅板葺の御社殿を修造し、現在の形となった。
奥に鎮座する本殿は慶長年間に改修された当時の姿である。
境内には、神輿蔵・金毘羅宮・神楽殿・石碑等、数多く祀られている。大正12年、神木が倒木したが、年輪が980もあった。
八坂神社
御祭神として須佐之男命 ( すさのおのみこと ) ・大国主命 ( おおくにぬしのみこと )をお祀りする。
八坂神社の創立年月日は不祥であるが、400年前より当地にあり境内の欅の大木は約1000年を数える古木である。
当社の社殿は昭和42年、御嶽神社新築の際、古い社を移築したもので、昭和60年、屋根は銅版葺きとした。
疫病よけの御利益をもつとされる。
龍蛇神の社
出雲地方に古来より伝わる龍蛇神様を千年の杜の守り神としてお祀りする。
古くより、出雲の地では旧暦10月10日に全国の神々が参集し、縁結びの会議がなされるといわれる。
10月を神無月と呼ぶ所以でもあり、出雲地方では神在月(かみありつき)・お忌みさん(おいみさん)とも称し特別な信仰がある。神々が集う出雲の地に全国の神々をご案内・先導する神様が龍蛇神様である。縁結び・金運の御利益があるとされる。
出雲大社には、他の神社ではあまり見られない様式や慣習が残ることでも知られています。この相模分祠でも、同じ様式が見られるのです。
お参りは出雲大社と同じ「四拍手」
多くの神社は参拝する時に「二礼二拍手一礼」が作法とされていますが、出雲大社での通常の参拝は「二礼四拍手一礼」です。相模分祠での拍手も同じ回数となっています。
注連縄
注連縄も、多くの神社では右から左へ縄を綯いますが、出雲大社では左から右です。これは、一般的には神様に向かって右が上位とされ左が下位とされていることから右から始められるようですが、出雲大社では逆に左が上位とされていることから注連縄も逆になっているそうです。もちろん、相模分祠でも出雲大社と同じく左から綯う注連縄です。
大社造の建物
建物も、出雲大社に代表される神社建築様式の「大社造」です。大社造は、本を開いて伏せたような形である「切妻」の屋根の建物で、三角の面が正面となる「妻入り」と呼ばれる形式です。
すてき
投稿者のプロフィール
のぶさん1584投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。