ひびたじんじゃ(こやすみょうじん)
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比比多神社(子易明神)ではいただけません
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比比多神社(子易明神)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月18日(火)
参拝:2021年4月吉日
比比多神社(ひびた~)は、神奈川県伊勢原市上粕屋にある神社。式内論社。祭神は神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ;=木花咲耶姫)。別名「子易(こやす)明神」と呼ばれている。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国大住郡 比比多神社」に比定される2社のうちの1社。
奈良時代の天平の頃、相模国守護・染谷太郎時忠が国の安土・子宝を願って勧請し、安産祈願に霊験あらたかと伝わる。のち平安時代中期の10世紀初めに醍醐天皇の勅願所となり、延喜式神名帳に式内社として記載されたとしているが、1590年の小田原落城時に神階・御告文などの史料を失ったとされている。その後、神号を「易産大明神」、「子易大明神」と称し安産守護神として崇敬を集めたとのこと。
当社は、小田急小田原線・伊勢原駅の北西4kmほどの山裾にあって、ちょうど大山への坂道のスタート地点にあたる。ロードサイドの狭い敷地に建っていて、境内の広さ、社殿の大きさは<村の鎮守>サイズのごく一般的な神社だが、社務所に神職の方が常駐している。おそらく、普段から参拝者が多く来ていることが推察される。
今回は、相模国の式内論社の1社として参拝。参拝時は週末の昼ごろで、参拝者は若夫婦と思しき男女や、ランニング途中の若者、普通のおじさんなど、途切れることなく来ている感じだった。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国大住郡 比比多神社」に比定される2社のうちの1社。
奈良時代の天平の頃、相模国守護・染谷太郎時忠が国の安土・子宝を願って勧請し、安産祈願に霊験あらたかと伝わる。のち平安時代中期の10世紀初めに醍醐天皇の勅願所となり、延喜式神名帳に式内社として記載されたとしているが、1590年の小田原落城時に神階・御告文などの史料を失ったとされている。その後、神号を「易産大明神」、「子易大明神」と称し安産守護神として崇敬を集めたとのこと。
当社は、小田急小田原線・伊勢原駅の北西4kmほどの山裾にあって、ちょうど大山への坂道のスタート地点にあたる。ロードサイドの狭い敷地に建っていて、境内の広さ、社殿の大きさは<村の鎮守>サイズのごく一般的な神社だが、社務所に神職の方が常駐している。おそらく、普段から参拝者が多く来ていることが推察される。
今回は、相模国の式内論社の1社として参拝。参拝時は週末の昼ごろで、参拝者は若夫婦と思しき男女や、ランニング途中の若者、普通のおじさんなど、途切れることなく来ている感じだった。
境内全景。右に曲がって行く登り坂の、カーブの内側に境内がある。この道は、大山(大山阿夫利神社、大山寺)に繋がっている。
<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐったところ。社殿は一段高いところにある。
参道右手に<手水舎>。
手水舎の後ろに<授与所>。御朱印はこちら。
階段を上がって、突き当りの<拝殿>。きれいにメンテが行き届いていて、塗装の発色がきれい。
拝殿正面。まるでさっきまで祈祷をやっていたかのような雰囲気。
拝殿後ろの<本殿>と<幣殿>。こちらもメンテに手抜かりなし。
本殿後ろの境内社。左から順に<天満宮>、<(小さな狐があるので)稲荷社?>、<淡島社・稲荷社・熊野社>、<日吉山王宮・八雲社>。
拝殿前に戻って、<御神木>のけやきの古木。
最後に振り返って<拝殿>。きれいでなかなか好印象。
すてき
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惣一郎1269投稿
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