あるかじんじゃ
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有鹿神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月20日(木)
参拝:2021年4月吉日
有鹿神社(あるか~)は、神奈川県海老名市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
創建は不詳。社伝によると、飛鳥時代の天智天皇3年(664年)に初めて祭礼を行い、奈良時代に藤原廣政により社殿の改修と寄進を受けた。この時期、相模国府が有鹿郷に所在したため、国司の崇敬を受け、祭礼が行われたとのこと。平安時代927年の『延喜式神名帳』には「相模国高座郡 有鹿神社」と記載されている。鎌倉時代には、幕府重鎮・海老名氏の手厚い庇護を受け、美麗な社殿と広大な社領を有していたとのこと。その後1333年の関東大兵乱により鎌倉幕府が滅亡、新田義貞の兵火により社殿・史料を焼失、社領も略奪された。1438年の永享の乱で海老名氏は滅亡、当社の再び兵火を被り衰微した。戦国時代に海老名高地の用水を守る「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として徐々に復興、1591年に徳川家康より朱印十石の寄進を受け、江戸時代の1622年には海老名郷の領主・高木主水の内室により社殿が復興された。海老名郷5村の総鎮守となった。
当社は、JR相模線、小田急小田原線、相鉄本線・海老名駅から西に1kmの相模川そば、河川敷の内側にある。周りは住宅街で、境内前の道はそこそこ交通量がある。境内地が3カ所あり、当地が本宮(鳩川の相模川への流入口域)、北に6kmの場所に奥宮(有鹿谷にある小祠、鳩川の水源の一つ)があり、0.6kmの場所に中宮(有鹿の池、鳩川の中間地点)がある。本宮は、少し大きめの<村の鎮守>サイズ。
今回は、相模国・式内社の1社ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には一組夫婦がいたぐらいだった。
創建は不詳。社伝によると、飛鳥時代の天智天皇3年(664年)に初めて祭礼を行い、奈良時代に藤原廣政により社殿の改修と寄進を受けた。この時期、相模国府が有鹿郷に所在したため、国司の崇敬を受け、祭礼が行われたとのこと。平安時代927年の『延喜式神名帳』には「相模国高座郡 有鹿神社」と記載されている。鎌倉時代には、幕府重鎮・海老名氏の手厚い庇護を受け、美麗な社殿と広大な社領を有していたとのこと。その後1333年の関東大兵乱により鎌倉幕府が滅亡、新田義貞の兵火により社殿・史料を焼失、社領も略奪された。1438年の永享の乱で海老名氏は滅亡、当社の再び兵火を被り衰微した。戦国時代に海老名高地の用水を守る「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として徐々に復興、1591年に徳川家康より朱印十石の寄進を受け、江戸時代の1622年には海老名郷の領主・高木主水の内室により社殿が復興された。海老名郷5村の総鎮守となった。
当社は、JR相模線、小田急小田原線、相鉄本線・海老名駅から西に1kmの相模川そば、河川敷の内側にある。周りは住宅街で、境内前の道はそこそこ交通量がある。境内地が3カ所あり、当地が本宮(鳩川の相模川への流入口域)、北に6kmの場所に奥宮(有鹿谷にある小祠、鳩川の水源の一つ)があり、0.6kmの場所に中宮(有鹿の池、鳩川の中間地点)がある。本宮は、少し大きめの<村の鎮守>サイズ。
今回は、相模国・式内社の1社ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には一組夫婦がいたぐらいだった。
境内入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
鳥居をくぐってすぐ左側にある<鐘楼>。
参道の左側にある<参心殿>。シャッターが閉まっているが、建物右側に<神札授与所>と書いているので、授与所みたいなものか。
本殿正面。
拝殿正面。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿の左脇にある境内社。<諏訪社>、<稲荷社>、<日枝社>の表札がある。
本殿の左奥にある、古い手水盤と石柱。石柱には<相模国十三座...>と書いてある。
社殿全景。
社殿の右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の右側離れた場所にある<有鹿天神社>。
有鹿天神社の社殿。
すてき
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惣一郎1269投稿
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