【創建】
大化の改新の後、海老名耕地の中央部の開墾によって、中新田の地域は誕生した。その地名は、大縄崎村から中新田村へと変遷した。この地の草創の頃、住民は農業の安全と繁栄を祈り、諏訪大明神の神霊を勧請し、諏訪神社をご創建した。
【室町】
永享年間(1429-1440)以前から、厳然として、諏訪神社の鎮座する事を鷹倉社寺考は古志を基に伝える。爾来、中新田の鎮守社として、別当寺の諏訪山東興寺と共に、住民や領主の崇敬の念篤く社運は隆昌するに至った事を新編相模風土記稿は記す。明応年間(1492-1500)太守の大島豊後守正時による社殿造営を社寺考は棟札を基に伝える。
【江戸】
元和6年(1620)、地頭の高木主水政次による社殿造立の棟札が残る。また、元禄15年(1702)9月、地頭の秋元小左衛門成朝による宮鐘の寄進を風土記稿は鐘名を基に伝える。社殿の再建及び修理について、明暦元年(1655)、貞享3年(1686)、享保13年(1728)の棟札が残り、慶応2年(1866)の銘が向拝殿の装飾彫刻の裏にある。
【明治から大正へ】
明治元年(1868)の神仏分離令により、諏訪神社は東興寺分離し、明治6年(1873)11月、村社に列せられた。明治15年(1882)社殿を再建し、明治43年(1910)その設備を完成した。大正4年(1915)9月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正12年(1923)の関東大震災により社殿を始め悉く倒壊したが、翌年には社殿と鳥居が再建された。
【昭和から平成へ】
第二次世界大戦の後、諏訪神社は宗教法人となり神社本庁に所属する。氏子は心の拠り所として崇敬し、昭和28年(1953)7月、境内を西側に拡張し神楽殿を建築し、また平成8年(1996)社務所の再建、平成16年(2004)社殿の修理及び幟竿、狛犬の整備、平成17年(2005)神楽殿の再建等、次々と境内の整備を進めた。 |