ちゅうじょうひめ
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楽しみ方中将姫のお参りの記録一覧

藤沢市用田に伝わる中将姫伝説にまつわる祠で、寿昌寺の裏手にある里山の中腹にあります。
中将姫は「當麻曼荼羅」で知られる奈良県の當麻寺や、ツムラの婦人薬「中将湯」のマークで知られるお姫様です。
中将姫は天平19年(747)藤原豊成の娘として奈良の都に生まれました。5歳で母を亡くし、豊成が後妻を迎えると、その賢さや美しさを妬む継母に命を狙われ逃亡生活を送られました。その後、仏門に入り信仰を深め、阿弥陀仏と観音菩薩に助けられ蓮の糸で曼荼羅を織り上げました。宝亀6年(775)諸仏の来迎を受け極楽浄土へ旅立ったといいます。
用田には『継母から逃れた姫が隠れ住んだ地』と伝わり、化粧井戸や屋敷もあったといいます。姫は追っ手を逃れるためにいつも般若の面をつけていました。
このお面は寿昌寺に預けられましたが、住職がうなされるので、後に用田の鎮守である寒川社に納められ、祭りの際に神輿に飾られる習わしでした。昭和の始め頃、旅人に持ち去られてしまい今は残っていないといいます。
新編相模国風土記稿によれば愛川町の八菅山、伊勢原市の日向薬師、秦野市の鶴巻(落幡)にも中将姫に関する伝承がありますが、これらは曼荼羅や幡に関する伝承で、中将姫その人自体の伝承があるのは用田だけみたいです。
藤沢市の見解では、祠が鎮座する土地の字名が「中条(ちゅうじょう)」で、中将姫と同じ音であるという地名由来から、女性のための信仰対象として祀ったのではないかと考えられているそうです。
中将姫の命日とされる3月14日には、地域住民らにより供養祭が開かれています。祠には畑の間を通っていきますので、畑仕事をされてる方がいらしたら一声かけるといいと思います😊
蛇足ですが、戸塚区にある舞岡八幡宮のご由緒からこちらの中将姫にたどり着きました。舞岡地域の空に白旗が舞い、落幡村に落ちたという伝承ですが、こちらではこの幡を「源氏の旗」と解釈しているようです。
(参考)
・中将姫の伝説/中島恵子
・藤沢市教育文化センター
藤沢を知る「中将姫」


入口。付近には祠への案内看板が何ヶ所か設置されていました。

畑の間を通っていきます。畑仕事されてるおじいちゃんとおばあちゃんがいたので挨拶しました😊

一本道なので迷うことはありません。



祠の扉にはノートが置いてあり、「○○から来ました」など一言でも書いてくれたら嬉しいとのこと。

アクセスの悪さもあり、あまり知られていないそうです。お参りに来てくれる人が増えたら嬉しいとも。

内陣

曼荼羅の複製が飾られていました。


祠より下は行き止まりです。



掲示物がたくさん!


前日の風雨で道の状態が心配だったのですが、このマットのおかげで歩きやすかったです。
このあと寒川社に行くと言ったら、おばあちゃんが近道を教えてくれました。親切にしてくださり感謝感謝でした🤗
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