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大応寺ではいただけません
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大応寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月23日(木)
参拝:2024年5月吉日
24.05.21。先の知足寺より徒歩7分。二宮町二宮の閑静な住宅地にある曹洞宗の寺院。
山号 妙見山盛唇庵
開創 天文7年(1538年)
開山 覚林隣正大和尚
本尊 釈迦三尊
【歴史】〜当山HPより抜粋〜
寺の名前のいわれは天文7年、高遁斎道応(小田原城主)が、当所内屋敷及び山林・田畑を寄付した。そのため、この人の法号大林道応居士の上と下のニ字をとり、大応寺と改めたものである。
天正19年(1592)には十石朱の印を賜っている。その後、徳川時代にこの地を支配した萬年七郎右ヱ門高瀬が修造を加えた。よってこの人を中興開基としている。萬年氏は東照宮に仕え、相模の代官に任せられ、萬年堰、萬年堀を作って葛川の水を引き、勝負の前新田を開発した。
コンパクトな境内ですが、本堂が立派で彫刻なども目を惹く禅寺らしいお寺さんです。又境内に隣接した併営の保育園もインパクトあるものでした。御朱印はされていませんでした。
山号 妙見山盛唇庵
開創 天文7年(1538年)
開山 覚林隣正大和尚
本尊 釈迦三尊
【歴史】〜当山HPより抜粋〜
寺の名前のいわれは天文7年、高遁斎道応(小田原城主)が、当所内屋敷及び山林・田畑を寄付した。そのため、この人の法号大林道応居士の上と下のニ字をとり、大応寺と改めたものである。
天正19年(1592)には十石朱の印を賜っている。その後、徳川時代にこの地を支配した萬年七郎右ヱ門高瀬が修造を加えた。よってこの人を中興開基としている。萬年氏は東照宮に仕え、相模の代官に任せられ、萬年堰、萬年堀を作って葛川の水を引き、勝負の前新田を開発した。
コンパクトな境内ですが、本堂が立派で彫刻なども目を惹く禅寺らしいお寺さんです。又境内に隣接した併営の保育園もインパクトあるものでした。御朱印はされていませんでした。
寺号標
境内入り口〜山門
山門手前右側に
六地蔵尊
六地蔵尊
本堂遠景
鐘楼
本堂前の蘇鉄
本堂
寛政2年(1790)造営。
昭和37年(1962)大改修。
寛政2年(1790)造営。
昭和37年(1962)大改修。
彫刻が目を惹きます。
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木鼻(右)
(左)
扁額
境内の庭が綺麗です。
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梅花保育園
すてき
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こばけん1053投稿
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