ちょうしょういん|時宗
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楽しみ方長生院のお参りの記録一覧

遊行寺の本堂裏手にある塔頭寺院で、別名「小栗堂」といいます。
寺伝によれば、小栗判官の妻・照手姫が太空上人の弟子となり、剃髪受戒を受けて長生尼と号しました。永享元年(1429)閻魔堂の傍らに草庵を結んでこの処に住まわれたことにより、閻魔堂を長生院と改称して遊行寺の支院となりました。開山は太空上人です。
ご本尊は阿弥陀如来様。現在の本堂は平成3年に落成したものです。本堂裏には、照手姫、鬼鹿毛、小栗判官主従の墓があります。
別名小栗堂と呼ばれる通り小栗判官伝承が多く残され、小栗満重木造、金銅照手身代正観音像、照手所持古鏡、小栗小伝など「小栗判官伝承関係資料一括」として重要文化財となっています。
(参照)
遊行寺ホームページ


『本堂』

『知恵地蔵菩薩』

『時宗板碑』

『木造阿弥陀如来坐像』

小栗判官墓所入口

ここを入ります。

本堂の横を通り、突き当たりを右へ。

小栗判官公並びに十勇士之墓

照手姫の墓

名馬・鬼鹿毛の墓

由来について詳しく書かれていますが薄くて読めない箇所も😢

日影になっているのでここの紫陽花はまだ生き生きしていました✨



『厄除地蔵尊』
照手姫が建立したと伝わっています。


境内から見た遊行寺本堂と回向堂。

そういえば、小栗判官伝説って以前行った相模原市の神社にもあったよな・・・🤔と思い出して再確認したら、その近くにも時宗の重要なお寺があるじゃないですか!というわけで次は相模原市に行きます。(フライングですでに一社投稿してます笑)

清浄光寺の塔頭の長生院に参拝し住職不在のため書置きの御朱印をいただきました。
ご本尊は阿弥陀如来です。
永享元年(1429年)の太空上人によって開山されました。
何度かの消失と再興を繰り返し1993年に本堂が落成されました。
小栗判官主従の墓があり、
長生院が別名小栗堂といわれるように小栗判官伝説の残るお寺です。
小栗判官は浄瑠璃や歌舞伎で演じられていました。
時宗板碑と木造阿弥陀如来坐像が安置されています。
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御朱印

入り口

手水舎

本堂

お地蔵様

小栗判官主従の墓

小栗判官の由緒案内板

名馬鬼鹿毛のお墓

小栗判官に登場する左が照手姫のお墓で右が名馬鬼鹿毛のお墓

時宗板碑と木造阿弥陀如来坐像の説明案内板

22.10.14。時宗総本山遊行寺の支院。
創建 永享元年(1429年)
開山 大空上人
本尊 阿弥陀如来
長生院(ちょうしょういん)は、古くは閻魔堂と言われ、別名小栗堂とも呼ばれます。別名の通り、小栗判官伝説に登場する照手姫が晩年尼となって住んだという伝説が残る。江戸時代には『小栗略縁起』を発行した。また周囲には小栗判官と十勇家臣の墓、照手姫の墓、名馬鬼鹿毛の墓もあり、小栗判官伝説伝承の中心地となっている。
~Wikipediaより引用~
遊行寺本堂裏手の静寂な地に佇む、コンパクトなお寺さんですが、心落ち着ける場所です。お寺の奥様と思いますが、丁寧なご対応で直書きの御朱印を拝受できました。








本堂







歴代上人の墓所



↓




境内より遊行寺本堂の屋根を眺望

庫裡玄関前

21.06.05。時宗総本山遊行寺の支院。
永亨元年(1429年)創建。本尊は阿弥陀如来。小栗堂の別名の通り、小栗判官伝説に登場する照手姫が晩年に尼となって住んだと言う伝説が残る。江戸時代には「小栗略縁起」を発行した。又周囲には小栗判官と十勇家臣の墓、照手姫の墓、名馬鬼鹿毛の墓もあり、小栗判官伝説伝承の中心地となっている。
〜Wikipedia より引用〜
遊行寺境内の最奥地にあるので背地は小山で、静寂さが心地良く参詣出来ました。御朱印はされているようですが、御住職様不在で拝受叶わなずでした。

遊行寺坂側からの入り口



本堂

本堂 扁額


↓



↓


知恵地蔵尊

庫裡

余談ですが、時宗開祖一遍上人の伝記。
総本山と塔頭寺院を参詣したのを期に再読してみました。
神奈川県のおすすめ3選❄️
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