すわじんじゃ
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楽しみ方諏訪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月19日(金) 19時20分45秒
参拝:2025年11月吉日
藤沢市大鋸に鎮座していて、神社の前は箱根駅伝で有名な遊行寺坂です。藤沢宿の東方の総鎮守であったとされます。(西方は白旗神社)
正應2年(1289)8月23日、遊行4世呑海上人が信州須羽へ御旅をなされた時、諏訪大社の御霊をお持ち帰りになり、遊行寺の守護神として山内にお祭り申し上げたのがはじまりです。遊行寺とは神仏習合の名残をとどめる密接な関係にあります。
と、上記に記載した内容が現在の公式のご由緒となっております。これは、明治29年編纂の「藤沢沿革考」の説を用いられています。諏訪神社の過去における記録は他にもありますが、いずれも遊行寺と密接になってからの神社の歴史に焦点が当てられていることが特徴です。
そんな中興味深いなと思ったのが、藤沢市史第5巻(通史編)に取り上げられている『諏訪神社は呑海上人が藤沢に入る前から、"藤沢氏の外護のもと"にすでに勧請されていたのではあるまいか』という文言です。
これは『時宗の成立と展開』で著者の大橋俊雄氏が述べられているそうです。「藤沢氏」とは諏訪神家の一族で、信濃国伊那郡藤沢郷を本所とし、鎌倉幕府の御家人で弓術の名手として仕えた、藤沢二郎清親の子孫であるとも。
御朱印をいただく際に宮司様と少しお話をしたのですが、やはりこの辺りは諏訪神社が多いです。
最古の御分霊の社とされる片瀬諏訪神社を起点に周辺へ諏訪信仰が広がっていって、遊行寺より先にあったとしてもなんらおかしくないのかなと思いました。
以前遊行寺の投稿で藤沢の地名由来は「淵沢」からきていると書きましたが、地名由来は他にもあって「藤諏訪」なんてものもあります。今回のお話を思えば、これもありなんじゃないかと思えてくるのが面白いです。
正應2年(1289)8月23日、遊行4世呑海上人が信州須羽へ御旅をなされた時、諏訪大社の御霊をお持ち帰りになり、遊行寺の守護神として山内にお祭り申し上げたのがはじまりです。遊行寺とは神仏習合の名残をとどめる密接な関係にあります。
と、上記に記載した内容が現在の公式のご由緒となっております。これは、明治29年編纂の「藤沢沿革考」の説を用いられています。諏訪神社の過去における記録は他にもありますが、いずれも遊行寺と密接になってからの神社の歴史に焦点が当てられていることが特徴です。
そんな中興味深いなと思ったのが、藤沢市史第5巻(通史編)に取り上げられている『諏訪神社は呑海上人が藤沢に入る前から、"藤沢氏の外護のもと"にすでに勧請されていたのではあるまいか』という文言です。
これは『時宗の成立と展開』で著者の大橋俊雄氏が述べられているそうです。「藤沢氏」とは諏訪神家の一族で、信濃国伊那郡藤沢郷を本所とし、鎌倉幕府の御家人で弓術の名手として仕えた、藤沢二郎清親の子孫であるとも。
御朱印をいただく際に宮司様と少しお話をしたのですが、やはりこの辺りは諏訪神社が多いです。
最古の御分霊の社とされる片瀬諏訪神社を起点に周辺へ諏訪信仰が広がっていって、遊行寺より先にあったとしてもなんらおかしくないのかなと思いました。
以前遊行寺の投稿で藤沢の地名由来は「淵沢」からきていると書きましたが、地名由来は他にもあって「藤諏訪」なんてものもあります。今回のお話を思えば、これもありなんじゃないかと思えてくるのが面白いです。
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく823投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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