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大庭神社ではいただけません
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大庭神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月10日(月)
参拝:2021年4月吉日
大庭神社(おおば~)は、神奈川県藤沢市稲荷にある神社。旧社格は郷社。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国高座郡 大庭神社」の2つの論社の一つ。もう一つの論社<熊野神社(大庭神社旧跡)>は当社の南西1.5kmの引地川東岸の丘陵地にある。
創建は不詳。社伝を含め近世以前の記録はない。境内梵鐘は1721年鋳造で、「天満天神宮」と書かれていたとされ、藤沢市教育委員会出版の書物『藤沢の文化財』によると江戸期には「天神社」と呼ばれていたとされる。主祭神は神皇産靈神とされるが、江戸期に大庭城主・大庭三郎景親と菅原道真を合祀した。明治時代の神仏分離令以前は、当社の近くにある成就院(高野山真言宗の寺院)が別当寺として当社を管理した。
当社は、小田急江ノ島線・善行駅の西方1kmほどの引地川親水公園脇の小山上の森の中にある。境内には古い梵鐘もあるので、少なくとも神仏習合の江戸期までは村の鎮守ぐらいの規模は合ったものと思われる。現在は境内は掃き清められているが神職常駐ではなく、鵠沼皇大神宮の兼務社となっている。
参拝時は週末の午後で、自分以外にも、近くの親水公園に遊びに来た子連れ家族が参拝に来ていた。
※式内論社2社を比べる(別途投稿<熊野神社(大庭神社旧跡)>参照)と、当社は神社の体をなしているので、どちらかと言えば当社かと思うが、サイズ感は所詮<村の鎮守>レベルなので、決め手に欠く感じ...
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国高座郡 大庭神社」の2つの論社の一つ。もう一つの論社<熊野神社(大庭神社旧跡)>は当社の南西1.5kmの引地川東岸の丘陵地にある。
創建は不詳。社伝を含め近世以前の記録はない。境内梵鐘は1721年鋳造で、「天満天神宮」と書かれていたとされ、藤沢市教育委員会出版の書物『藤沢の文化財』によると江戸期には「天神社」と呼ばれていたとされる。主祭神は神皇産靈神とされるが、江戸期に大庭城主・大庭三郎景親と菅原道真を合祀した。明治時代の神仏分離令以前は、当社の近くにある成就院(高野山真言宗の寺院)が別当寺として当社を管理した。
当社は、小田急江ノ島線・善行駅の西方1kmほどの引地川親水公園脇の小山上の森の中にある。境内には古い梵鐘もあるので、少なくとも神仏習合の江戸期までは村の鎮守ぐらいの規模は合ったものと思われる。現在は境内は掃き清められているが神職常駐ではなく、鵠沼皇大神宮の兼務社となっている。
参拝時は週末の午後で、自分以外にも、近くの親水公園に遊びに来た子連れ家族が参拝に来ていた。
※式内論社2社を比べる(別途投稿<熊野神社(大庭神社旧跡)>参照)と、当社は神社の体をなしているので、どちらかと言えば当社かと思うが、サイズ感は所詮<村の鎮守>レベルなので、決め手に欠く感じ...
引地川親水公園のそばに木々に覆われた丘があり、その麓に鳥居と社号標がある。
丘の上までまっすぐに伸びる階段。
境内全景。階段を登り切った左側に境内地がある。
一段低いところに<鐘楼>がある。
梵鐘には思いっきり<大庭神社>と書いてある。ばっちり神仏混淆。
一段高い境内地入口。
境内左手に<手水舎>。
拝殿全景。サイズ的には旧村社、ザ・村の鎮守。旧郷社にしては小さめ。
拝殿正面と、<大庭神社>と書かれた扁額。
本殿。フル木製でしっかりメンテされている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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