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楽しみ方車地蔵堂のお参りの記録一覧

25.06.04。先の一之宮天満宮より徒歩3分。神奈川県高座郡寒川町一之宮2丁目の住宅街にあるお堂。
解説ボードを見ると400年以上前の建立とあり、意外に古くより信仰されていることを知りホッコリさせられました。








寒川町一之宮にある車地蔵堂は、木造の地蔵尊を祀る貴重な堂宇である。別名「供車地蔵」とも呼ばれ、1597年(慶長2年)3月15日に大森菊地泰次とその家老・秋元金平によって建立された。秋元は忠臣であったが嗣子がなく、泰次は自身の長子・菊之丞を養子に迎え、田畑の一部を分与した。これにより秋元の忠誠心はより強まり、両者は安産子育地蔵尊を共に祀ったとされる。
● 焼失と再建
明治初期、堂宇の老朽化により本尊は日向薬師(伊勢原市)へ移された。しかし、1894年(明治27年)に日向薬師で火災が発生し、車地蔵は焼失した。その後、1936年(昭和11年)、後裔の霊夢を契機に地蔵堂が再建され、本尊も再刻された。現在、堂内には1936年に作られた車地蔵を中央に、左に1715年(正徳5年)作、右に1665年(寛文5年)作の江戸時代の地蔵が安置されている。
● 車地蔵の特徴
全国の車地蔵の多くが石像であるのに対し、この車地蔵は木造である。また、一般的に「車」は後生車を指すが、この地蔵は「供車(ともぐるま)」に乗る珍しい形態をしている。
● 霊験あらたかな信仰
車地蔵堂は、相模国高座郡南部地蔵尊24札所の第10番札所にあたり、江戸時代には講が組織され、多くの参拝者が訪れた。ご詠歌「住みはてぬ 浮き世は憂(う)しと お車の 巡りて救う 誓い嬉しき」が伝わる。毎月24日の縁日には、地蔵講中による奉仕が行われ、近年まで御開帳が続いていた。
● 宝篋印塔と歴史的背景
堂の外には、1570年(元亀元年)の宝篋印塔があり、側面には「元亀元庚午年」と刻まれている。これは車地蔵を建立した大森菊地泰次の妻の墓であり、裏面には「本姓大森 菊地下総守 藤原泰定 母」と彫られている。泰定は泰次の子であり、「泰定 母」とは泰次の妻を指す。
● 地蔵建立の背景
秋元金平は泰次の忠臣であったが、子に恵まれなかった。泰次は自身の子・菊之丞を養子にし、田畑を分け与えた。金平はこれに感謝し、菊之丞の無病息災を祈願。その結果、金平の妻にも子が授かり、以降、村々で「子育て、子作り、安産地蔵」として信仰されるようになった。
● 車地蔵の再建と現在
明治初年、お堂が老朽化し、車地蔵は日向薬師へ移されたが、1894年の火災で焼失。昭和11年に講中の人々の尽力により再建され、現在に至る。



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