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車地蔵堂のお参りの記録(1回目)
神奈川県寒川駅

投稿日:2025年03月15日(土) 12時46分19秒
参拝:2025年3月吉日
寒川町一之宮にある車地蔵堂は、木造の地蔵尊を祀る貴重な堂宇である。別名「供車地蔵」とも呼ばれ、1597年(慶長2年)3月15日に大森菊地泰次とその家老・秋元金平によって建立された。秋元は忠臣であったが嗣子がなく、泰次は自身の長子・菊之丞を養子に迎え、田畑の一部を分与した。これにより秋元の忠誠心はより強まり、両者は安産子育地蔵尊を共に祀ったとされる。

● 焼失と再建
明治初期、堂宇の老朽化により本尊は日向薬師(伊勢原市)へ移された。しかし、1894年(明治27年)に日向薬師で火災が発生し、車地蔵は焼失した。その後、1936年(昭和11年)、後裔の霊夢を契機に地蔵堂が再建され、本尊も再刻された。現在、堂内には1936年に作られた車地蔵を中央に、左に1715年(正徳5年)作、右に1665年(寛文5年)作の江戸時代の地蔵が安置されている。

● 車地蔵の特徴
全国の車地蔵の多くが石像であるのに対し、この車地蔵は木造である。また、一般的に「車」は後生車を指すが、この地蔵は「供車(ともぐるま)」に乗る珍しい形態をしている。

● 霊験あらたかな信仰
車地蔵堂は、相模国高座郡南部地蔵尊24札所の第10番札所にあたり、江戸時代には講が組織され、多くの参拝者が訪れた。ご詠歌「住みはてぬ 浮き世は憂(う)しと お車の 巡りて救う 誓い嬉しき」が伝わる。毎月24日の縁日には、地蔵講中による奉仕が行われ、近年まで御開帳が続いていた。

● 宝篋印塔と歴史的背景
堂の外には、1570年(元亀元年)の宝篋印塔があり、側面には「元亀元庚午年」と刻まれている。これは車地蔵を建立した大森菊地泰次の妻の墓であり、裏面には「本姓大森 菊地下総守 藤原泰定 母」と彫られている。泰定は泰次の子であり、「泰定 母」とは泰次の妻を指す。

● 地蔵建立の背景
秋元金平は泰次の忠臣であったが、子に恵まれなかった。泰次は自身の子・菊之丞を養子にし、田畑を分け与えた。金平はこれに感謝し、菊之丞の無病息災を祈願。その結果、金平の妻にも子が授かり、以降、村々で「子育て、子作り、安産地蔵」として信仰されるようになった。

● 車地蔵の再建と現在
明治初年、お堂が老朽化し、車地蔵は日向薬師へ移されたが、1894年の火災で焼失。昭和11年に講中の人々の尽力により再建され、現在に至る。
車地蔵堂(神奈川県)
車地蔵堂(神奈川県)
車地蔵堂(神奈川県)

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