じょうじゅいん|真言宗大覚寺派|普明山
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神奈川県 鎌倉市 極楽寺1丁目に境内を構える、成就院(じょうじゅいん)正式名称は普明山 法立寺 成就院、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に鎌倉三十三ヶ所観音霊場巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 普明山、寺号は 法立寺、院号は 成就院、宗旨 宗派は 古義真言宗、真言宗 大覚寺派、ご本尊は 不動明王、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第二十一番札所 (聖観世音菩薩)鎌倉十三仏霊場 第十三番札所 (虚空蔵菩薩) 結願寺院、新四国東国八十八ヶ所霊場 第八十三番札所、創建は承久元年(1219年)平安時代、弘法大師が諸国巡回の際、この地を訪ねられ、護摩供養の修法とともに虚空蔵求聞持法を修したと江戸時代に書き改めた成就院の縁起に記されている。
虚空蔵求聞持法とは、百日間のあいだ一日に一万遍ずつ虚空蔵菩薩のご真言を唱える修行法。成就院は、鎌倉幕府三代執権 北条泰時が弘法大師が修行された護摩壇跡に建立したという縁起をもつ。「空海この地において数日護摩供を修す、この時、泰時高僧を請うして承久元年 一宇を建立し願成就院を称し、大師護摩の霊場なるを以って普明山と号すとなり」(新編相模風土記稿)
開基泰時は成就院の建立によって、北条一族の繁栄を祈願したという。また、成就院は極楽寺切通しにあって「泰時の物見寺」 ともいわれ当時鎌倉防衛の要衝でもあった。
新田義貞により鎌倉幕府が滅ぼされた元弘三年(1333年)この地は 戦場となり、戦火で寺は焼け落ち、西ヶ谷に移転したが江戸時代に再建され現在に至っている。
「当寺、元弘の乱に寺地を 蹂躙せられ西ヶ谷に遁れて星霜を送りけるが、元禄年中現住祐尊が現旧地に往還し再興せり」(新編相模風土記稿)室町時代、関東管領足利成氏が毎年正月、成就院住職を御所で接待するほどの格式を誇った。「管領成氏が、時は毎年正月住持を営中に饗待あり」(新編相模風土記稿)






22.11.30。先の長谷寺より徒歩15分。鎌倉市極楽寺1丁目にある真言宗大覚寺派の寺院。
別称《アジサイの寺》
正式名:普明山法立寺成就院
創建 承久元年(1219年)
開基 北条泰時
本尊 不動明王
札所 鎌倉三十三観音霊場
第二十一番
鎌倉十三佛霊場 第十三番
新四国東国八十八ヶ所霊場
第八十三番
【歴史】~Wikipediaより〜
鎌倉七口の一つである極楽寺坂切通の途中に位置する。空海(弘法大師)が諸国巡礼の折、百日間にわたり虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩の真言を百万回唱える修行)を行ったと伝えられる。承久元年、三代執権北条泰時がこの寺を創建し、北条一族繁栄を祈ったという。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失したが、江戸時代に再建された。
今回は鎌倉33観音巡りの16ヶ所目として参詣。当寺はアジサイ寺として有名ですが、この時期の紅葉はほぼ無いので、参詣者は自分以外に数名でした。しかし、静寂さのある境内は好きな場所です。
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