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浄妙寺ではいただけません
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浄妙寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月23日(火)
参拝:2020年2月吉日
浄妙寺は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある臨済宗建長寺派の寺院。正式名称は稲荷山(とうかざん)浄妙広利禅寺。本尊は釈迦如来。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音9番札所。鎌倉十三仏2番札所。
鎌倉時代前夜の1188年、源頼朝の重臣・足利義兼が父義康の菩提寺として創建。開山は退耕行勇(源頼朝や北条政子も帰依した高僧)。真言宗の寺院で極楽寺と称した。その後の住持・月峯了然が禅宗に改め、中興開基の足利貞氏が逝去後、子の足利尊氏が父貞氏の法名にちなみ浄妙寺と改称した。室町時代には隆盛を誇り、二十三の塔頭を持つ大寺院で、鎌倉五山の第五位とされた。その後は衰退し、現在は江戸中期に再建された大きな本堂と総門、客殿、庫裏、足利貞氏の墓とされる宝篋印塔が残っている。
境内は庭園の植物が美しく、梅、椿、牡丹、サルスベリ、銀杏、紅葉の名所となっており、国指定の史跡にもなっている。1991年に茶室・喜泉庵と枯山水の庭園が復元された。なお、本堂奥にある鎌足稲荷神社は、鎌倉の地名の由来になったとされる。
当寺は鶴岡八幡宮の東方、金沢街道(県道204号線)沿いにある。バスだと鎌倉駅から10分ほど、浄明寺バス停下車数分。
参拝時は週末の午前中で、他に参拝者はぱらぱらと来ていた。
※鎌倉強化合宿1日目、杉本寺(1番札所)、光触寺(7番札所)、明王院(8番札所)に続く4寺院目。
鎌倉時代前夜の1188年、源頼朝の重臣・足利義兼が父義康の菩提寺として創建。開山は退耕行勇(源頼朝や北条政子も帰依した高僧)。真言宗の寺院で極楽寺と称した。その後の住持・月峯了然が禅宗に改め、中興開基の足利貞氏が逝去後、子の足利尊氏が父貞氏の法名にちなみ浄妙寺と改称した。室町時代には隆盛を誇り、二十三の塔頭を持つ大寺院で、鎌倉五山の第五位とされた。その後は衰退し、現在は江戸中期に再建された大きな本堂と総門、客殿、庫裏、足利貞氏の墓とされる宝篋印塔が残っている。
境内は庭園の植物が美しく、梅、椿、牡丹、サルスベリ、銀杏、紅葉の名所となっており、国指定の史跡にもなっている。1991年に茶室・喜泉庵と枯山水の庭園が復元された。なお、本堂奥にある鎌足稲荷神社は、鎌倉の地名の由来になったとされる。
当寺は鶴岡八幡宮の東方、金沢街道(県道204号線)沿いにある。バスだと鎌倉駅から10分ほど、浄明寺バス停下車数分。
参拝時は週末の午前中で、他に参拝者はぱらぱらと来ていた。
※鎌倉強化合宿1日目、杉本寺(1番札所)、光触寺(7番札所)、明王院(8番札所)に続く4寺院目。
総門。入って左側に料金所がある。
料金所から見た境内。本堂まで一直線の参道が伸びている。
参道の両サイドの木々は、季節柄、梅以外は咲いておらず少し寂しい。春夏秋はもっと違う風景になるのであろう。
銅板葺寄棟造。平面は方丈形式の六間取りの堂々たる姿。江戸中期の再建だが、仏壇周りなど一部室町時代の部材が使用されているとのこと。ブルーイッシュグリーンの屋根と木材の焦げ茶、白壁のコントラストが美しい。
お堂正面。手前は鎌倉三十三観音霊場・9番の詠み歌の額。奥には<方丈>の扁額。
本堂から振り返った眺め。
本堂の左手にある<茶室・喜泉庵>。手前が枯山水の庭園。
喜泉庵では、お茶と茶菓子をいただける。
境内の白梅。咲き具合は2分かな。
すてき
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惣一郎1269投稿
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