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きょうおんじ|時宗中座山(中座山大聖院教恩寺 ちゅうざさんたいしょういんきょうおんじ)

教恩寺の御由緒・歴史
神奈川県 鎌倉駅

ご本尊阿弥陀三尊
創建時代不明< 参考:元々は材木座にある光明寺境内にあった寺院であったが、光明寺末寺の善晶寺が廃寺となり、年代に諸説あるが延宝6年(1678年)に跡地の現地に移されたそうです。>
開山・開基開山:知阿 / 開基:北条氏康

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教恩寺の歴史
歴史
01-2) 教恩寺解説ボード < 文字起こし > 中座山大聖院教恩寺 [宗旨] 時宗 (じしゅう) 一遍上人がお聞きになった宗派で、 阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。 総本山は藤沢にある遊行寺です。 【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財) 阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で 源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。 【山門】 正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。 【開基・開山】 開基は北条氏康   (1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、       元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、 開山は知阿上人と伝わる。 その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、 延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。 <※印)文字起こし時、判読不能> 【平重衛とのゆかり】 平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、 ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、 しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。 重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、 鎌倉へ護送されたのですが、 源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、 優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、 捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、 頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。 この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、 重衡が護送されるまでのつかの間、 癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。 やがて、重衡は奈良へ送され、 文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、 その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、 又出家したともいわれ、 消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、 そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、 その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。 . ---------
教恩寺の歴史
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16.01.02 鎌倉「教恩寺」初詣 https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2016-01-05-4#more

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