かくおんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
覚園寺ではいただけません
広告
覚園寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月14日(水)
参拝:2021年2月吉日
覚園寺(かくおんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶせん)、院号は真言院。本尊は薬師三尊。鎌倉十三仏霊場第11番、鎌倉二十四地蔵尊第3番(阿閦如来;あしゅくにょらい)。
寺伝によると、1218年に鎌倉幕府2代執権・北条義時が建立した大蔵薬師堂が起源とされる。その後1296年、開基を9代執権北条貞時、開山を京都・泉涌寺の僧・智海心慧(ちかいしんえ)として正式な寺院となった。
鎌倉幕府滅亡後も、1333年後醍醐天皇が勅願寺とし、足利尊氏も祈願寺とするなど権力者から保護された。1337年に火災に遭うも、1354年足利尊氏により再建。江戸期にも大修理を受けるが、江戸後期の1830年の火災で伽藍の大部分を焼失し、寺運は衰退。1923年の関東大震災でも甚大な被害を受け、1950年ごろまでは荒廃していたがその後徐々に復興した。
当寺は、JR鎌倉駅からバスで北東方向に2km進んだ大塔宮バス停(鎌倉宮前)から、さらに左方向(北方向)になだらかな山道を600mほど登った「薬師堂ヶ谷(やくしどうがやつ)」と呼ばれる谷戸(やと)にある。
無料参拝エリアには愛染明王を祀る<愛染堂>のみで、<薬師堂>などのその他の見どころは有料参拝エリアにある。なお、有料参拝エリアは見応えがあるが、写真撮影禁止なので、しっかりと目に焼き付ける必要がある。
参拝時は週末の午後で、アクセスが楽ではないエリアにあるにもかかわらず、そこそこの数の参拝者が来ていた。
※有料参観(写真撮影禁止)エリアにあるのは、本堂薬師堂(木造薬師三尊坐像・木造十二神将立像;いずれも国指定の重要文化財、地蔵堂(黒地蔵;国指定重要文化財)、内海家邸宅(江戸期の豪農宅)、やぐら(鎌倉期の火葬墓)など。
寺伝によると、1218年に鎌倉幕府2代執権・北条義時が建立した大蔵薬師堂が起源とされる。その後1296年、開基を9代執権北条貞時、開山を京都・泉涌寺の僧・智海心慧(ちかいしんえ)として正式な寺院となった。
鎌倉幕府滅亡後も、1333年後醍醐天皇が勅願寺とし、足利尊氏も祈願寺とするなど権力者から保護された。1337年に火災に遭うも、1354年足利尊氏により再建。江戸期にも大修理を受けるが、江戸後期の1830年の火災で伽藍の大部分を焼失し、寺運は衰退。1923年の関東大震災でも甚大な被害を受け、1950年ごろまでは荒廃していたがその後徐々に復興した。
当寺は、JR鎌倉駅からバスで北東方向に2km進んだ大塔宮バス停(鎌倉宮前)から、さらに左方向(北方向)になだらかな山道を600mほど登った「薬師堂ヶ谷(やくしどうがやつ)」と呼ばれる谷戸(やと)にある。
無料参拝エリアには愛染明王を祀る<愛染堂>のみで、<薬師堂>などのその他の見どころは有料参拝エリアにある。なお、有料参拝エリアは見応えがあるが、写真撮影禁止なので、しっかりと目に焼き付ける必要がある。
参拝時は週末の午後で、アクセスが楽ではないエリアにあるにもかかわらず、そこそこの数の参拝者が来ていた。
※有料参観(写真撮影禁止)エリアにあるのは、本堂薬師堂(木造薬師三尊坐像・木造十二神将立像;いずれも国指定の重要文化財、地蔵堂(黒地蔵;国指定重要文化財)、内海家邸宅(江戸期の豪農宅)、やぐら(鎌倉期の火葬墓)など。
境内入口。階段上がって<山門>。
山門をくぐって<愛染堂>方向を望む。
<愛染堂>全景。元は近くにあった大楽寺(だいらくじ)のお堂。
<愛染堂>正面。中には<愛染明王>を祀る。写真右側には、意外と小さな<寺鐘>。
愛染堂の右手にある<庫裡>。
愛染堂の左手に進むと<拝観受付兼授与所>がある。御朱印はこちら。
ここから先は有料(500円)だが、見る価値は十分にあり。写真撮影禁止だが、フォトジェニックな堂宇や仏像が多数。苦しい...汗
ここから先は有料(500円)だが、見る価値は十分にあり。写真撮影禁止だが、フォトジェニックな堂宇や仏像が多数。苦しい...汗
拝観から戻って、山門近くを望む。
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。