じゃくしみょうじん(じゃくしどう)
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蛇苦止明神(蛇苦止堂)ではいただけません
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蛇苦止明神(蛇苦止堂)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月26日(日)
参拝:2021年12月吉日
21.12.11。先の妙本寺さんの総門を入って、左手の小道を少し上がったところに鎮座。
妙本寺の守り神(鎮守)蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)を祀るお堂です。
建仁3年(1203年)、比企能員(ひきよしかず)が北条時政邸で暗殺され、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた(比企の乱)。
二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
『吾妻鏡』によれば、文応元年(1260年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、能員の娘に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復した。
のちに政村は、比企氏の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る当堂を建立しました。(後略)
〜Webサイト 鎌倉手帳(寺社散策)より〜
謂れ等を調べていると、何やらおどろおどろしい説があり、怖いもの見たさ⁉︎で通し読みしたが、自分は正直に言いますと蛇は苦手ですw
妙本寺の守り神(鎮守)蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)を祀るお堂です。
建仁3年(1203年)、比企能員(ひきよしかず)が北条時政邸で暗殺され、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた(比企の乱)。
二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
『吾妻鏡』によれば、文応元年(1260年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、能員の娘に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復した。
のちに政村は、比企氏の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る当堂を建立しました。(後略)
〜Webサイト 鎌倉手帳(寺社散策)より〜
謂れ等を調べていると、何やらおどろおどろしい説があり、怖いもの見たさ⁉︎で通し読みしたが、自分は正直に言いますと蛇は苦手ですw
すてき
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こばけん1121投稿
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