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神明神社ではいただけません
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神明神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月01日(土)
ステイホームのゴールデンウィーク
午前中晴れる予報だったので地元周辺のホトカミさんに登録されてない市内の神社探して参拝⛩
上作延神明神社(かみさくのべしんめいじんじゃ)とも。創建年代は不詳。伝承によれば、古老の言によれば、往時、上作延の人達は同地の赤城神社の氏子だった。
江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)、何か理由があって、伊勢講を中心とする人達が同社の氏子から離脱した。
そこで寛文15年、と、『神奈川県神社誌』は記載しているが、寛文は13年までで、15年はない。そのため、これは寛永年間(1624年-1645年)で、寛永15年(1638年)ではないかという。
ともかく、寛永15年、村中の者が大丸台に集り、禰宜の荒井出雲守を迎え、盛大な祭典を執行し、当社を創立したという。
ただし、江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』上作延村の条には、当社に該当するような神社名は見えない。
当時から祭礼は8月、または9月25日に行なわれ、伊勢講と呼ばれていた。明治6年(1873年)12月、村社に列した。
午前中晴れる予報だったので地元周辺のホトカミさんに登録されてない市内の神社探して参拝⛩
上作延神明神社(かみさくのべしんめいじんじゃ)とも。創建年代は不詳。伝承によれば、古老の言によれば、往時、上作延の人達は同地の赤城神社の氏子だった。
江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)、何か理由があって、伊勢講を中心とする人達が同社の氏子から離脱した。
そこで寛文15年、と、『神奈川県神社誌』は記載しているが、寛文は13年までで、15年はない。そのため、これは寛永年間(1624年-1645年)で、寛永15年(1638年)ではないかという。
ともかく、寛永15年、村中の者が大丸台に集り、禰宜の荒井出雲守を迎え、盛大な祭典を執行し、当社を創立したという。
ただし、江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』上作延村の条には、当社に該当するような神社名は見えない。
当時から祭礼は8月、または9月25日に行なわれ、伊勢講と呼ばれていた。明治6年(1873年)12月、村社に列した。
すてき
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