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やこうひえじんじゃ

矢向日枝神社の御由緒・歴史
神奈川県 尻手駅

ご祭神《合》天御中主神,豊受比売命,《主》大山咋命
創建時代寛永十五年(1638)
ご由緒

当神社は、滋賀県大津の日吉神社の御分霊を勧請したもので、山王大権現、山王社等と称され、寛永十五年の創立と云い、古は、矢向村、市場村、江ヶ崎村、越塚村、古川村、下平間村、上平間村の七ヶ村の鎮守であった。棟札に依ると、寛永十五年、寛文三年、享保十年、天明二年、文化七年等の各時代に造営が行われ、各時代に亘って七ヶ村の造立する處とされていたが、天保の末に至って各村は分離し、当神社は、矢向一村の鎮守となったのである。その後、徳川氏に至っては若干の社地を寄進せられて神田耕地と称する所があったと云われるが、これが当神社の領地であったらしい。
 往時、鶴見川、六郷川の氾濫で度々社殿は破損したこともあったが、天保十四年に再建し、明治六年、村社に列せられ、山王社を改めて日枝神社と改称し、同四十二年十二月一日、無格社十二柱、神明社、稲荷社の三社を併合の上、大正十一年十月六日、神饌幣帛料供進社(国又は市町村から産物を献納する)に指定された。
 その後、昭和二十一年八月に宗教法人となり、昭和三十二年八月に氏子崇敬者の赤誠によって、御社殿の改修が行われ、平成十四年には宮神輿新調と境内整備の修復がおこなわれた。

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