しらたきふどうそん|真言宗|白滝山
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楽しみ方白滝不動尊のお参りの記録一覧

白滝不動尊は、同じく根岸にある宝積寺の境外仏堂で、本尊の不動明王立像は江戸幕府による武蔵国の地誌『新編武蔵国風土記稿』において<元禄三年、海中より出現の像にて、智証大師の作と云う>などと伝えられ、他にも境内の崖の中段にあった井戸の中から出現した、などという伝説がある。















横濱開港神社巡りの途中に参拝しました⛩
八幡神社とも所縁があり、
1651年(慶安4年)、検地により八幡神社を含む現在の原町一帯が滝頭村に編入された。鎮守の社を失った形となった根岸村の住民は白滝不動尊を鎮守と仰いだ。滝頭村の住民にとっては元々よその鎮守であり、祭礼などもおざなりに行った。1766年(明和3年)1月15日、住職の弘道の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「我は根岸村に遷座したい。両村の住民のために二社になすよう取り計らえ」とお告げがあった。弘道は両村の役人と話し合い、八幡神社を根岸村に移し、当地には新たな八幡神社を創設することとした。遷座先は根岸台地の麓の、宝積寺が所有する稲荷社があったところに決まり、7月15日に遷宮が行われた。その後、かつての八幡宮の跡には、滝頭村の鎮守として新たな八幡神社(八幡橋八幡神社)が創設された[2]。遷座した八幡神社(根岸八幡神社)は元八幡と呼ばれ、根岸村の鎮守はいずれも宝積寺を別当とする元八幡と白滝不動尊の二社となったことから、鎮守の祭りは1年交代で行うようになった。1869年(明治2年)、神仏判然令により寺になったことから、鎮守は元八幡のみとなった。1870年(明治3年)に宝積寺が別当を解かれた時、例祭は9月15日から8月15日に変更された。1875年(明治8年)、社格を村社に定められた。1908年(明治41年)5月20日、一村一社令により伊勢宮・熊野社・浅間社・宇佐八幡・山王社が合祀された。


運動不足&炎天下の階段昇降は疲れた🥵💦

狛犬さま











龍🐉の口から滝の滴出ている
丘陵地帯の開発によって、現在の水量になったが、昔は落差20 m幅5mの滝で不動滝と呼ばれていたそうです

昔は高台から海が見えたらしいが、宅地造成と高速道路の影響により現在は見えない

JR根岸線「根岸駅」下車徒歩13分。
真言宗寺院。ご本尊は不動明王です。
横浜市内で最古の弘法大師霊場の第16番札所です。
創建年代は不詳ですが、境内にはかつて荒沢不動尊と白滝不動尊の二つの仏堂がありました。
鎌倉時代にある修験者が不動像を背負い行脚中に根岸湾を一望する丘で休んでいたところ、像が微動だにせずになり、村人の協力で小さなお堂を建てたのが始まりと言われています。
大正12年の関東大震災で本堂は倒壊しましたが、1925年に再建されました。
根岸の高台にひっそりと佇む寺院で、かつてあった白滝は、開発で水量が減ったものの、今でも付近の地名で「滝の上」、「不動坂」として残っています。

男坂と呼ばれる急坂を上がります。


かつては豊富な水量を誇っていた白滝です。




なんかの石碑でしょうか?



こちらにも滝が流れています。
江戸時代に大雨で流された不動像が見つかり、近くの宝積寺に寄進されたが、光を発して見つかったこの地に戻されたところ、光は発することはなくなりましたが、発見された場所には祠が出て来たと言われていました。

本堂です。



山号の「白滝山」は、ここを流れる白滝から来ています。
よく見ると古銭で作られています。


かつて、根岸湾を一望出来た場所は、山手への居留地に出る遊歩道でした。
ここからは、根岸や本牧の海で景勝地でした。
戦後埋め立てられ、石油コンビナートの工場地帯になりました。
かつては、7月28日が例祭があり、明治時代には茶屋などもあって賑わいを見せていましたが、その面影はありません。
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