高野山真言宗
宝生寺のお参りの記録一覧
横浜市南区の宝生寺は、無人であるとこの近所の方から聴いていたので、田舎によくあるような、人口減で檀家さんが少なくなり僧侶が掛け持ちするような小さなお寺なのだろう、と思っていた。
だが、しかあし!!
実際に自転車で訪れてみると、広い敷地に歴史的にも深いものがある。
指定文化財にもなっているようで、このままなのだろうなの印象であった。
高野山真言宗寺院の宝生寺は、青龍山宝金剛院と号します。青龍山宝生寺は、法印覺清が承安元年(1171)に開創、当地の領主だった平子氏よりの外護を受けて檀林所として栄え、天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領、慶長14年(1609)には伊豆相模武蔵における古義眞言宗法談所三十四院の一つに定められた本寺格の寺院だったといいます。東国八十八ヵ所霊場53番、横浜觀音三十三観世音霊場31番、横浜弘法大師二十一箇所21番、横浜磯子七福神の寿老人です。(説明より)
多数の古文書や仏画を所蔵しており、「横浜」の地名が出てくる最も古い嘉吉2年(1442年)の文書が残されている。
このお寺の歴史はとても古く、平安時代後期の承安年間(1171年~1175年)に覚清上人が庵を結んだのが起源とされており、御本尊様は戦国時代も終わりを告げようとする慶長6年(1601年)に鎌倉の覚園寺から移された大日如来の坐像だ。
さてさて、旧いお寺であり、看板には歴史が書かれているのだが、「東密」という言葉があるのだ。東の密教のことだ。
横浜市は、高野山真言宗が何故か多い。別名「赤門」の東福寺が中心らしいが、西の高野山に対しての東の密教なのだろうか。ここに歴史の深さを想うのだ。
まさに、古刹。簡単に横浜市も神奈川県も更地には出来ないのであろう。
ただ、草木の生い茂るままの状態であり、何も考えずに汗だくで行った私は虫に刺されまくってしまった。
虫を無視出来ないやんかー。
遠く、高野山で開かれた真言宗密教が横浜で広まった事を知るのであった。
入口は紫陽花が見事であった。
古刹寺に 思いを馳せる 紫陽花よ
ひさしぶりに伺いました。
いつもながらまったり出来るお寺様です。
感謝です☆
御本尊?の十一面観音様
入口前の子守地蔵様
お寺名石塔
参道
山門
山門
ご本堂
ご本堂
真言宗寺院。
横浜七福神寿老人の札所。
住宅地の中でここの一角だけが非常に静かで趣きはあります。
しかし、境内は草が伸び放題で少し行き届いていないかなと思いました。
御朱印はやっていないとの事です。
参道へは少し歩きます。
ここからは静かな趣への入口です。
山門です。
本堂です。
鐘楼です。
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