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春日神社ではいただけません
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かすがじんじゃ

春日神社のお参りの記録(1回目)
神奈川県港南台駅

投稿日:2023年04月19日(水)
参拝:2023年2月吉日
日野の中心にある春日神社には、こんなお話が伝わっています。
むかし、京都に住む貴族で、藤原成実という人が、仁和寺に、お参りに出かけました。
そこへ、見ず知らずの老人が、寄ってきて、わざと手にした草履を落とすのです。成実は、気味悪く思いましたが、拾って、ていねいに渡すと、老人は、かすかな笑みを浮かべ、
「あなたの深い信仰心と、素直な心に感動しています。この神像を贈りますから、祈り続けるように。きつと、十年後には、大国の長官になれるでしょう。忘れずに」
と言ったかと思うと、姿が消えたのです。
手中の神像は、紫の冠に、剣をさした小さな木製の像でした。
成実は、最初、信じがたい思いでしたが、ふと、これは、藤原氏の祖先の霊である春日大明神の変身であると感じとり、大切に持ち帰り、祈りつづけました。

予言どおり、十年後、成実は武蔵国の国守になり、国中を調べ歩くとちゅう、日野の里で、こんなうわさ話を耳にしました。
不思議な僧が、杖でこの地を掘ったら、水が湧いてきました。この水を飲むと病が治るというのです。
成実は、この僧こそ、自分の信仰する地蔵像の化身であり、この霊水の地は、春日大明神をまつるのに、ふさわしい場所と直感しました。
さっそく、神社を造り、神像を納めさせたのです。ここを最初は、穂井神社といっていましたが、後に、納めてある神像の名前から、春日神社と呼ぶようになりました。
平安時代に造られた古いやしろは、何度か、戦火に会い、いまの建物は、江戸時代に造り替えられていますが、この社殿の彫刻は、それは見ごとなものです。日野の里を今も見守っていてくれますし、建物の社殿の外壁の右側の中ほどには、虎と牡丹の花の彫刻、奥側には虎と老人、女性の像、社殿の左側には虎と牡丹、奥側には、老人と母子、また頭上の天井見上げると、竜の頭の彫刻が彫られています。
権現造りの社殿を、山の上から見ると、拝殿と本殿の屋根の棟が二重に重なり、神社の森と調和し、日野の里にきわだっています。(横浜市港南区のページより)


暖かい日に自転車を停めて、参拝しました。
かなりの石段を登った記憶があります。
横浜大空襲で燃えた建物の多い中、こちらは江戸時代のままで、なかなか見事である。
多少、旧いが。外にあるトイレは和式の昭和中期のものだ。
だが、トイレを借りようとしたら、「コロナ対策として利用不可!」との事。
そこまでするうう?
と、神社スタッフに文句を言ってすみませんでした。
隣にある江戸時代に別当を兼ねていた徳恩寺さんに借りました。
春日神社の御朱印
春日神社(神奈川県)
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すてき

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