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きくなじんじゃ

菊名神社の御由緒・歴史
神奈川県 菊名駅

ご祭神《主》誉田別命,天照皇大神,日本武命,木花咲耶姫命,武内宿禰命
ご由緒

ここ菊名の地には、昭和の初期まで神明社(天照皇大神)、杉山神社(日本武尊)、浅間神社(木花咲耶姫命)、八幡神社(譽田別命)、阿府神社(武内宿禰命)の五社が村社として地域の人々の信仰を集めて参りました。中でも記録に残るものとして最も古くからあるのが、阿府神社であり、その歴史は任和元年(885年)に遡ると言われております。時の天皇、光孝天皇が師岡に勅使を遣わされ熊野神社を創建なされた時、勅使がその途上、馬具の鎧をお納めになったことからその名が付いたと史書には書かれております。
 この五社が昭和十年、現在は菊名町公園となっている杉山神社の地に合祀され、名も「菊名神社」と改められました。その後、太平洋戦争の戦火を逃れてからは、同所を保健所建設用地として提供するため、(当時の八幡神社の地)に社殿を移設、以降この地で菊名の総鎮守として地域の人々とともに歩み、またその生活を見守り続けて参りました。
 この間、氏子諸氏の厚いご協力の下、昭和三十二年には社殿の改修および社務所・神楽殿が建設され、信仰の対象としてだけでなく、地域住民の交流と青少年の研修の場としても大きな役割を担うこととなりました。平成九年に参集殿・神楽殿、そしてこの度平成二十三年には、五十年ぶりの大々的な社殿改修工事を終え、二十一世紀にふさわしい姿となって生まれ変わりました。
 新たに完成した拝殿の天井には、中心に「菊」の花を配し、四方にはがまんさまによって守られる二十四枚の天井画が飾られております。テーマは「菊名の絆」です。これは社殿は新しくなっても、菊名の総鎮守として以前と同様、変わらずこの地の人々とともにあることを示しているのです。

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