よこはま さいほうじ
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横浜 西方寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2021年09月27日(月)
参拝:2021年9月吉日
建久年間(1190-1199)に鎌倉の笹目に創建されたという西方寺(真言宗)。
開山の勝賢僧正は、東大寺別当、醍醐寺座主を勤めた高僧。
源頼朝も帰依し、鎌倉永福寺の薬師堂供養の導師を勤めている。
山号は補陀洛山。
笹目から極楽寺山内に移転した後、明応年間(1492-1501)に新羽の地(現在地)に移転したと伝えられている。
本尊は本尊阿弥陀如来坐像(平安時代・県重文)。
鎌倉にあった頃は金箔が施され、その輝きで海の魚が捕れなくなってしまった漁師が、全身に経文を書きながら墨で塗りつぶしたのだと伝えられ、「西方寺の黒本尊」と呼ばれる。
茅葺の山門・本堂・鐘楼は江戸期の建造物で横浜市指定文化財。
大般涅槃経を注釈したものの一部という「注大般涅槃経巻第十九」は国の重要文化財に指定されている。
開山の勝賢僧正は、東大寺別当、醍醐寺座主を勤めた高僧。
源頼朝も帰依し、鎌倉永福寺の薬師堂供養の導師を勤めている。
山号は補陀洛山。
笹目から極楽寺山内に移転した後、明応年間(1492-1501)に新羽の地(現在地)に移転したと伝えられている。
本尊は本尊阿弥陀如来坐像(平安時代・県重文)。
鎌倉にあった頃は金箔が施され、その輝きで海の魚が捕れなくなってしまった漁師が、全身に経文を書きながら墨で塗りつぶしたのだと伝えられ、「西方寺の黒本尊」と呼ばれる。
茅葺の山門・本堂・鐘楼は江戸期の建造物で横浜市指定文化財。
大般涅槃経を注釈したものの一部という「注大般涅槃経巻第十九」は国の重要文化財に指定されている。
すてき
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