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神明宮ではいただけません
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しんめいぐう

神明宮のお参りの記録(1回目)
神奈川県京急東神奈川駅

投稿日:2024年07月14日(日)
参拝:2024年7月吉日
みきてぃさんと神奈川区の寺社巡り⑦

「神明宮」の草創はいくつか説があり定かではありませんが、もともとはお隣の能満寺の境内にあったようです。社殿こそ小さいですが、いろいろな伝承が残っています。


神明宮の境内にはかつて「梅の森稲荷」がありました。この稲荷社には「女旅人の哀れなお話」が残っています。


江戸時代中期、源氏坊天一という山伏が徳川吉宗のご落胤と吹聴し、多くの浪人・悪党どもがその配下に馳せ参じました。(天一坊事件)

その中に、赤川大膳という者がいました。美濃のある寺に居候し、夜な夜な街で強盗をくり返し、それが役人の耳に入り捕手を差し向けましたが、すでに寺を出た後でした。

大膳は江戸を目指す道中、神奈川宿へ来て亀屋という旅籠屋へ一泊します。その際、隣の部屋を覗き見ると、1人の若い女がたくさんの小判を出して勘定していました。これを見た大膳は、夜、部屋へ忍込み女を殺して金を奪い逃げました。

翌朝、女は殺され男は居らぬ状況に、上の役人に知れるとお家は欠所(財産没収刑)になるというので、亀屋は思案の末、梅林の中へ女の死体を隠しました。

この女性は神奈川近在の者で、江戸へ嫁入りしたが、たいそう婿を嫌って飛び出してしまい、尼になろうと鎌倉へ向かう道中にここへ留まっていました。

一方、婿の家では嫁が見えぬと探すうちに亀屋にたどり着き、代官が調べると宿もついに隠しきれず、梅林から死体がでてきました。

それ以来、夜になると霊が出るとか泣き声が聞こえるなど噂がたち、哀れに思った村人達が、稲荷を祀ったといいます。
大膳は天一坊とともに自滅に終わりましたが、これは稲荷の罰だと言われています。
(「横浜の伝説と口碑」より要約)



また、神明宮ご由緒の一説にはこんなお話もあります。

かつて境内を流れていた上無川の川上から、牛頭天王の御神体が流れてきて村人が一度拾い上げましたが、祟りを畏れてまた川へ流してしまいました。するとその者の一家が目の病を患いました。

天王様の御罰かと、流れの末の海の中を探しますが見つかりません。代わりに1つの神面を拾い、これを祀ると眼病が平癒したのでこのお宮を「神面社」とし、後に神明社と改めて大神宮を祭祀するようになったといいます。


このお話に出てくる上無川が「神奈川」の語源になったというお話もあります。(諸説あり)
現在、境内が駐車場になってしまっているようで少し残念ですね。
神明宮(神奈川県)
神明宮(神奈川県)
神明宮(神奈川県)
神明宮(神奈川県)
神明宮(神奈川県)
手水舎
神明宮(神奈川県)
社務所
神明宮(神奈川県)
神明宮(神奈川県)

すてき

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