かさのぎいなりじんじゃ
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楽しみ方笠䅣稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月08日(水) 05時35分18秒
参拝:2025年10月吉日
神奈川県横浜市神奈川区東神奈川に鎮座する神社で、天慶年間(938〜947) に淳和天皇勅願所浦島院観福寺の僧侶が隣域の山腹(稲荷山)に社殿を建立し、伏見稲荷大社の御分霊を勧請したのが始まりと伝わる。
文永11年(1274)の元寇の折りには時の執権・北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納し、国家の安泰を祈願したという。
戦国時代、兵火により罹災したが、永禄2年(1559)に再興し、元禄2年(1689)には稲荷山の中腹より山麓に遷座した。
この頃より、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになり、後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。
明治2年(1869)、旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に遷座。
大正12年(1923)の関東大震災により社殿が半壊し、昭和20年(1945)5月29日の横浜大空襲で社殿・神宝類の悉くを焼失したが、終戦後は早期に仮社殿が再建された。
そして、昭和54年(1979)に新社殿が完成し、現在に至る。
また、古来より笠䅣稲荷に参拝するとカサ(性病・婦人病)が治るという伝承があり、罹患した女性は土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をすると霊験を得て病気が治り、粢団子を作りお礼詣りをする習慣がある。
文永11年(1274)の元寇の折りには時の執権・北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納し、国家の安泰を祈願したという。
戦国時代、兵火により罹災したが、永禄2年(1559)に再興し、元禄2年(1689)には稲荷山の中腹より山麓に遷座した。
この頃より、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになり、後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。
明治2年(1869)、旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に遷座。
大正12年(1923)の関東大震災により社殿が半壊し、昭和20年(1945)5月29日の横浜大空襲で社殿・神宝類の悉くを焼失したが、終戦後は早期に仮社殿が再建された。
そして、昭和54年(1979)に新社殿が完成し、現在に至る。
また、古来より笠䅣稲荷に参拝するとカサ(性病・婦人病)が治るという伝承があり、罹患した女性は土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をすると霊験を得て病気が治り、粢団子を作りお礼詣りをする習慣がある。
すてき
投稿者のプロフィール

竜王1996投稿
人生に迷い、惑い、思い悩んだ三十路も半ば、見えない力に縋りたくて神社仏閣を訪問する日々が始まる…。 全国行脚のなかで怪我や病気が治癒するという奇跡も体験し、素晴らしい出逢いにも恵まれました。 そ...もっと読む
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