くりはまてんじんじゃ
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楽しみ方久里浜天神社のお参りの記録一覧
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童謡『雪(雪やこんこ)』の中では、犬と猫が雪に対して見せる反応の違いが象徴的に描かれている。犬は喜び庭を駆け回り、猫はこたつで丸くなる――この対比から言えば、普段の自分はどちらかといえば猫派だ。寒さには弱く、外出よりも室内のぬくもりを好むタイプだと自認している。
ところが、この日ばかりは少し違っていた。窓の外に広がる雪景色を目にしているうちに、いつしか犬派に心が傾いていた。というより、正確には、降りしきる雪の非日常感に心が動かされたのだ。雪の中を歩く機会など、そうあるものではない。その物珍しさが先に立ち、居ても立ってもいられず、思わず外に出てしまったというのが正直なところである。
雪は止む気配もなく、空からは絶え間なく白い結晶が舞い続けていた。ほんの数分前に誰かが雪かきをしていたとしても、その努力をあざ笑うかのように、たちまち道は元通りに白く覆われてしまう。そんな中、足を踏み出すたびに、雪を蹴り上げるような感覚を覚えながら進んで行った。
向かった先は、久里浜天神社。雪の中、静けさをたたえながらその姿を現す境内は、やはり予想どおり一面の銀世界となっていた。社殿の屋根にも、参道の石畳にも、境内の植え込みにも、等しく雪が積もっており、そこだけ時間が止まったような、幻想的な雰囲気が漂っていた。
そんな中で、ふと目に留まったのが、先に参拝を済ませた誰かの足跡だった。この天候、この時間帯に、わざわざ足を運ぶ人が他にもいるのか――と他人事のように驚き、感心する自分がいる。しかし同時に、その「奇特な誰か」とは他でもない、自分自身なのではないかと内心で苦笑する。極めて個人的な行動でありながら、まるで自分を客観的に観察するかのような、不思議な心持ちであった。
足元を確かめながらゆっくりと進み、社殿に手を合わせる。雪が深々と降る音のない世界で、ただ自分の吐く息だけが白く立ちのぼる。そんな中で、自分自身の足跡をしっかりと残して参拝を終えた。たったそれだけの出来事ではあるけれど、雪という非日常がそれを特別な記憶に変えてくれた。
この日の参拝は、いつものそれとは少し違う、印象深いものとなった。普段なら猫のようにこたつに籠もっていたであろう自分が、犬のように雪の中へ飛び出した――そのちょっとした逸脱が、妙に愛おしく感じられる。きっとこの日を思い出すたびに、雪と、自分の足跡と、そして久里浜天神社の静けさが、心の中にくっきりと浮かぶことだろう。
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午後5時を少し前にして、久しぶりに軽いジョギングを始めました。少し冷たい風が吹き抜けるものの、日中の陽気がまだ地面に残っていて、春の兆しを肌で感じるような、そんな夕方でした。空にはまだ西陽がうっすらと残り、ごく柔らかな光が町を包んでいました。
最初に足を向けたのは、京急久里浜駅のほど近くに鎮座する久里浜天神社でした。車通り沿いにありながら、鳥居をくぐると空気が一変し静謐な空間に包まれます。三浦半島で唯一の天満宮ともあって、学問の神様・菅原道真公を信仰する方々にとっては、特別な意味を持つ神社なのだと思います。
ちょうど国公立大学の後期試験日なので、ほとんどの受験生が試験日程を終えたかまさに大詰めを迎えている時期。去年は地震で受験どころではなかった人も大勢いるのだろうと思うとことばがありません。
絵馬掛けには、ややもすると悲痛なまでの叫びといった文字が並び、願いの数だけの物語がそこに静かに掛けられていました。中には、合格発表を終えてお礼参りに来たと思しき絵馬も見受けられ、「感謝」と大きく書かれたものが目に留まりました。結果が出そろい、喜びに満ちた家庭もあれば、悔しさや落胆に包まれた場所もあることでしょう。まさに、悲喜こもごも。絵馬一つ一つから、受験という大きな節目に向き合った人々の気持ちが静かに伝わってくるようでした。
神社の敷地を後にする頃、夕暮れは少しずつ濃くなり灯りがともる時間帯へと差しかかっていました。受験という人生の節目を終え、新たなスタートを切る人々の姿を思いながら、私は初春にはちょっと早いかもしれませんが、その空気を胸いっぱいに吸い込みゆっくりと走り出しました。
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久里浜天神社は、神奈川県横須賀市久里浜に鎮座する神社で、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る、いわゆる天満宮です。最寄り駅は京急久里浜線の終点である京急久里浜駅で、そこから歩いて約8分ほど。道中には商店や住宅が立ち並び、生活感のある街並みを抜けると、イオン久里浜店の向かい側、車通りの多い道路を挟んだ位置にこの神社はあります。
天満宮といえば、学業成就や合格祈願などで知られ、全国に数多く存在していますが、久里浜天神社は三浦半島の中で唯一の天満宮とされています。そのため、地域の人々にとっては特別な存在であり、また遠方から訪れる参拝者にとっても希少な社となっています。
この神社の創建には、江戸時代初期の新田開発と密接な関わりがあります。かつて、現在の久里浜およびその周辺一帯は、まだ十分に人の手が加わっていない湿地帯や荒地でした。その地を開拓し、新田として整備したのが、福井県鯖江市出身の開拓者・砂村新左衛門という人物です。この地域に内川新田を開発するにあたり、大阪市福島区にある福島天満宮から御神霊を勧請し、この地に天満宮を創建したと伝えられています。ちなみに内川という町名は現在も残っていて、久里浜と接しています。
砂村新左衛門の功績は、久里浜にとどまらず、神奈川県横浜市南区山王町に鎮座するお三の宮日枝神社、その周辺の吉田新田開発にも及んでいます。当時の新田開発は治水や土壌の改良といった困難が伴い、多くの苦労と犠牲があったとされます。久里浜でも開発にあたって「人柱」を立てたという悲痛な伝承が残っており、その伝説を今に伝える碑が、近くの平作川に架かる夫婦橋沿いに建立されています。
なぜ大阪の神社を勧請元としたのかについては、明確な記録が残っていないものの、福井・大阪・神奈川という広い範囲にわたる地理的つながりは、江戸時代という交通が限られた時代背景を考えると、非常に興味深く、何らかの強いご縁や志があったことをうかがわせます。その縁の不思議さと、今なお地域に根ざす神社の姿に思いを馳せると、胸に迫るものがあります。鯖江といばメガネフレームで有名ですが、この事実を知ってからは自分の中では久里浜天神社との結びつきを強く意識させるようになりました。
なお、砂村新左衛門とその妻は、神社のすぐ近くにある浄土宗の寺院・生業寺(久里浜2丁目19番15号)に仲睦まじく並んで埋葬されています。神社とその歴史に触れた後、静かな寺の佇まいを訪れることで、久里浜という土地の歴史の厚みと、そこに生きた人々の人生の軌跡により深く触れることができるでしょう。
神社の境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが鳥居と手水舎。手を清めて一礼し、正面には比較的新しい印象の社殿が堂々と構えています。建物には長年の風雨に晒されたような風化の痕跡は見られず、清掃や修繕が丁寧に行き届いており、地域に大切にされていることが伝わってきます。
賽銭箱の近くには、簡素ながらも手作り感のある社報が設置されており、神社の行事や活動の様子を紹介しています。その内容からは、神職や関係者の皆さんがこの神社をどれほど大切にし、地域の中で生かしていこうとしているか、その熱意がひしひしと伝わってきました。
また、拝礼の作法を案内する看板も設置されており、日本語に加えて英語と韓国語で説明が書かれています。英語表記は都心部の神社では時折見かけますが、韓国語での表記は珍しく、外国人参拝者への配慮と国際的な視点をもって対応しようという姿勢がうかがえます。
このような創意工夫の数々は、神社としての独自性を際立たせるとともに、地域とのつながりを大切にしながら、より広く親しまれる存在であろうとする姿勢の現れとも言えるでしょう。一部の参拝者の中には、神社のややもすると「商売っ気」のある姿勢に対して違和感を抱く人もいるかもしれません。しかし、神社が信仰の場であると同時に、維持・運営されるべき一つの組織であるという現実を考えれば、そのような努力を否定するのはいささか早計であると考えます。むしろ、こうした積極的な姿勢こそが、現代の神社の在り方の一つのモデルなのではないかと感じさせられました。
神社の目の前には大手流通企業が運営する商業施設が堂々と建っており、境内を一歩出ればすぐに現代的で世俗的な風景が広がっています。しかし、そのような日常の喧騒の中に、古くからの信仰の場が静かに息づいているという事実こそ、都市の中における神社の存在意義を象徴しているようにも思えます。たとえ周囲の景色が変わっても、そこに祈りの場があり続ける限り、人々はふと立ち止まり、過去と現在とをつなぐ思索のひとときを過ごすことでしょう。
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