りゅうほんじ
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龍本寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年10月28日(土)
参拝:2023年10月吉日
23.10.26 。先の諏訪神社より徒歩8分、横須賀市深田台の住宅街にある日蓮宗の寺院。
《米ケ浜(よねがはま)のお祖師》
《横須賀風物百選》
山号 猿海山
創建 弘安2年(1279年)
開山 日蓮聖人
開基 石渡左衛門(日妙)
本尊 日蓮聖人32歳の像
【由来】「横須賀案内記」より
深田台米ケ浜の懸崖にあり。本市第一の大伽藍たり、建長五年(1253)三月、日蓮上人、開宗のため鎌倉に入らんとし此の地に上陸し、三七日間滴錫(ていしゃく)読経の霊跡にして寺側崖下、上人参籠の窟あり。土人(土地の人)石渡左衛門、帰依して出家し、日妙と号し、一寺を創建して開基となる。
六世日栄の代、これを※金谷(かなや)に移して大明寺(だいみょうじ)と号し、更に本寺を建立して大明寺の奥院とせり。
※市内のJR衣笠駅に近い地区
日蓮宗における最初の霊跡といわれるようで、初めて知りました。本堂の内外の彫刻が素晴らしく、内陣にも上げて頂き、且つ寺院関係者の方と住職の奥様に説明も頂戴しました。ご親切な御対応に感謝です。
《米ケ浜(よねがはま)のお祖師》
《横須賀風物百選》
山号 猿海山
創建 弘安2年(1279年)
開山 日蓮聖人
開基 石渡左衛門(日妙)
本尊 日蓮聖人32歳の像
【由来】「横須賀案内記」より
深田台米ケ浜の懸崖にあり。本市第一の大伽藍たり、建長五年(1253)三月、日蓮上人、開宗のため鎌倉に入らんとし此の地に上陸し、三七日間滴錫(ていしゃく)読経の霊跡にして寺側崖下、上人参籠の窟あり。土人(土地の人)石渡左衛門、帰依して出家し、日妙と号し、一寺を創建して開基となる。
六世日栄の代、これを※金谷(かなや)に移して大明寺(だいみょうじ)と号し、更に本寺を建立して大明寺の奥院とせり。
※市内のJR衣笠駅に近い地区
日蓮宗における最初の霊跡といわれるようで、初めて知りました。本堂の内外の彫刻が素晴らしく、内陣にも上げて頂き、且つ寺院関係者の方と住職の奥様に説明も頂戴しました。ご親切な御対応に感謝です。
御首題
当寺に伝わる、鮑とサザエの伝説により、下の印はサザエです。
詳細は「横須賀風物百選」の掲示板にありました。
当寺に伝わる、鮑とサザエの伝説により、下の印はサザエです。
詳細は「横須賀風物百選」の掲示板にありました。
境内入り口
山門は無いです。
山門は無いです。
由来の詳細説明ボード
水屋
石仏
お題目塔
本堂
江戸時代後期の築のようです。
江戸時代後期の築のようです。
大扁額
(聖人垂跡)
明治9年9月、中林悟竹(なかばやしごちく)書。当時の書壇の巨匠のようです。
(聖人垂跡)
明治9年9月、中林悟竹(なかばやしごちく)書。当時の書壇の巨匠のようです。
木鼻
↓
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本堂正面の引戸
こちらを開けていただき本堂内へ上がりました。
こちらを開けていただき本堂内へ上がりました。
正面左側
正面右側
銅羅(どら)
で良かったですかね?
昔は外にあったようです。
で良かったですかね?
昔は外にあったようです。
浄財箱
↓
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安政ニ年の銘
欄間の板絵
須弥壇の彫刻
本堂内天井画
本堂右サイドより
本堂左手に《鬼子母神堂》
本堂右手裏に《稲荷堂》と思います!
稲荷堂の右手に狛犬さん
↓
↓
境内の石碑
↓
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水子観音菩薩像
だと思います!
だと思います!
境内から市街地の眺望
境内から裏参道を下ります。急階段が続きます。
お穴さま
日蓮聖人が37日間籠った岩窟
↓
日蓮聖人が37日間籠った岩窟
↓
振り返りると断崖絶壁です。
頂いた漫画の小冊子
日蓮聖人の幼名(善日麿)の頃のお話しでした。
日蓮聖人の幼名(善日麿)の頃のお話しでした。
すてき
投稿者のプロフィール
こばけん1188投稿
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