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りゅうげんいん|曹洞宗水上山

龍源院の御由緒・歴史
神奈川県 座間駅

ご本尊釈迦牟尼仏
ご由緒

この寺の縁起は寛正2(1461)年に建立され、かつては入谷丸山下(現在の富士山公園の西側)にあり、山梨県上野原の報福寺末と伝えられるが、戦火により焼失すること数回、寛永3(1626)年、厚木市三田の清源院八世・格雲守存を請して開山となし、清源院の末寺となった。
二世実州は堂宇を改築し、更にある夜夢枕にたった白蛇のお告げにより、財宝・五穀豊穣を祈念して弁財天を造立し多くの信仰を得今日に至っている。
また伝説によれば、この寺の開基は渋谷高間という鎌倉初期の豪族渋谷氏の末流であったという。
高間は先妻との間の子小桜姫と後妻とその間の子の小柳姫を残したまま、山梨県上野原の報福寺で出家し諸国巡礼に出てしまった。残された後妻のお松は、吾が子小柳姫に家を継がせようと考え、小桜姫を殺して桜田(座間高校付近)の沼に埋めてしまった。
ところが小桜姫と仲の良かった小柳姫は、悲歎・絶望のあまり自分も桜田の泥田に身を投げて自殺してしまった。
事は村人に知れ渡り、お松は捕えられ相模川の堤防の補強のため、死刑の代わりに人柱として生き埋めにされてしまった。
やがて巡礼から戻った高間は、留守中に最愛の妻子が三人ともあわれな死をとげたことを知り、自分の家と屋敷を寺とし、三人の成仏と自己の滅罪とを祈った。これがこの龍源院のはじまりであるという。(座間市教育委員会掲示より)

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